阿倍野の銭湯では背中に龍が登る

これの続き

 

https://yayayatototo0308.hatenablog.com/entry/2019/06/30/205947

 

大阪市立美術館から天王寺公園を突っ切ってあべのハルカスまで歩いた。公園には高校生とかそのくらいの年齢の人たちがたむろしていた。

 


あべのハルカス

 


去年の夏にもここに来たのを覚えている。その時は、地下のスーパーでバナナを買って、16階にある屋上庭園(ここまでは無料で登れる)でそれを食べた。お弁当とか惣菜もたくさん売っていたのだけれど、まるで小麦粉を顔に塗ったような厚化粧のババアと同じものを食べるのが嫌で、バナナにした。というのは嘘で、単純に一袋98円のバナナが1番安いと思ったからそれにしただけである。この時の俺は貧乏が過ぎて、公園でゴクゴクと水を飲んで空腹を誤魔化していた。しかし、奨学金レバレッジをかけた上でビットコインに投資して、俺は勝ち抜けてひと財産築き上げた。今は藁の代わりに札束を使うくらいの金持ちである。なんかその辺の男は女の子とデートする時、レストランを予約するのが精一杯みたいなんだけど、俺は飛行機をチャーターしてパリにフレンチを食べに行くよ。

f:id:yayayatototo:20190702213548j:image

 


今回はちょっと時間が足りなくて、梅田スカイビルかハルカスのどちらか片方の展望台にしか登れないと思った。だから梅田スカイビルに登ろうと思った。それでもハルカスの16階にある屋上庭園までは登った。この屋上庭園にはまるで天使がうちわで扇いでいるような心地良い風が吹いていて、図書館のテラスみたいな雰囲気で気に入っている。野球バックを持った高校生3人もそこにいて、僕は懐かしい気持ちになった。

 


銭湯

 


高速バスに乗る前に風呂に入りたくて、多分この辺には日雇いの人向けの銭湯があるはずだと思い、ググったら案の定銭湯があってそこに行くことにした。

 


普通、銭湯とか温泉は「入れ墨お断り」みたいな看板があるんだけど、当たり前のように入れ墨を掘っている人何人かいて少し驚いた。さらに、その人たちの眼光はまるで武器のように鋭いのだ。「最近の若者は目に力がない。毎日プロテインを目にふりかけろ」と言っていたのだが、「目に力がある」というのはこういう状態なのかと思った。敵は絶対に無事では返さないというようなオーラがあって、閻魔大王のような貫禄があった。

 


それから、ジェットバスに顔を沈めている人がいた。肺活量を鍛えているのだろうか。あるいは死地をさまよって、この世に帰還する訓練をしていたのかもしれない。僕が今まで見てきた、平和ボケした光景とのギャップが大きくて、果たしてここは日本だろうかと少し疑問に思った。

 

 

 

 

大阪で俺様とデート

旅行するのが好きでよく高速バスに乗る。大阪は高速バスのハブになっていて、バスを乗り換えるついでに大阪でも遊ぶ。午前中に難波に着いて、梅田発の夜行バスに乗る。まるで北を指さないコンパスみたいに、適当にぶらぶらするだけなのだけれどそれが楽しかったりする。

 

今回は、去年の夏に行ったあべのハルカス通天閣に再会しようと決めていた。難波から阿倍野まで歩いた。40分くらいかかった。大阪の人たちは色彩がわからないのか、交通ルールを知らないのか、信号を無視する人が多い。僕は小学校の先生に教えてもらったように、手をあげて横断歩道を渡るようにしている。なんという優等生だろう。大学でも授業に休まず出席して、今学期は首席だった。授業中にAmazon prime Video を見たり、インスタで水着の女を見ている助平もいるがそういう奴は大学生の風上にも置けない、腐った連中である。自分の根本的な能力が不足している連中は「学位」でそれを補おうとしがちだ。だから大学の授業が幼稚園のお遊戯会みたいに無秩序になるのだ。正直、授業をインスタでライブ配信すればいいと思うのだが、時代が俺様の発想に追いついてこないのがやや残念である。

 

新世界

通天閣界隈はいつ行ってもお祭りみたいな雰囲気がある。ここで日経平均株価とか憲法第九条の話をすると「お前みたいなバカはお利口ぶってないで、ウンコでもしてろ」とぶん殴られるかも知れない。難しい話はいらない、メシが美味かったらいい、みたいな解放感があってここに来るといつも踊りたくなる。俺は串カツの誘惑に負けて店に入った。僕は学祭で飲食店を出したことがあるのだが、食中毒を出さないように衛生面に気を使い、ゴム手袋、マスク、帽子は必須だった。しかし、この串カツ屋さんはこのような衛生面への配慮は皆無であり、素手で生の肉を扱う姿は原始人を彷彿とさせた。汚いという印象はないが、正直に言って、食中毒はおろか伝染病が発生する可能性を感じるくらいであった。まぁ揚げているので殺菌効果は高いはずである。

 

f:id:yayayatototo:20190630205932j:plain



 

大阪市立美術館

 

そこからあべのハルカスの方に歩いていると、大阪市立美術館日展の巡回展をやっているという看板があった。昔の俺は、美術作品などフンコロガシの足跡に毛が生えた程度のものだと認識していたのだが、去年国立西洋美術館に行ってから考えが変わった。美学、イマジネーション、根性、哲学、インスピレーション、怒りなどの結晶が絵画に現れているのだ。これほどまでに高尚な存在はないであろう。

 

国展は、審査を通過した作品の展覧会で、油絵、日本側、彫刻、銅像、書道のカテゴリーに分かれている。特に書道は字が読めなかった。楷書を判別する知識が足りないからである。僕に教養があれば楽しめたのにな、と残念な気持ちになると同時に、像が鼻で書いたような会所の文字を識別できる人間がこの世の中にどれくらいいるんだろうという疑問を抱いた。

 

絵画はかっこいい作品がいくつかあって、嬉しかった。とてもたくさんの絵が並んでいるのだけれど、もしこの中にピカソフェルメールの絵が紛れ込んでいたら、まるで森三中佐々木希が紛れ込んだように、一目でそれと分かるほど目立つのだろうか。気づくかも知れないし、気づかないかも知れない。恋は盲目であるのと同じように、確かなことはわからない。しかし、ピカソとその他大勢の画家の違いはどこにあるのだろう。あるいは、日展に落選した作品と、落選した作品にはどんな違いがあるのだろうか。俺にはよくわからない。世界には謎があふれていて、真理を追求するために僕はアテネに向かうだろう。エーゲ海にいる幻のマーメイドにキスをすると無限の知識が手に入るという伝説がある。

メリケンパークで鳩に餌をくれた

これの続き

ネットカフェに泊まるより公衆便所に立てこもるべきだ - 大和さまのブログ

 

朝の5時くらいに大阪駅から電車で三宮に向かった。駅の中にあるコンビニのシャッターは閉まっていたし、コンコースにも人がいなかった。まるでマフィアが人さらいをした後のような雰囲気だった。誰もいない駅はやけに広く見えた。僕の部屋は2畳しかなくて、同人誌と写真集が山積しているから足を伸ばして寝ることができない。まるで牢屋である。僕は悔しい気持ちになって、便所からケツ拭きを3つ持ってきてそれをゴミ箱に投げ込んだ。胸がすっきりして、僕は足がもつれても踊るのをやめない踊り子のようにウキウキしながら電車に乗った。

 

電車の中で、向かいの席にスーツを着た若い男が2人で座っていた。片方が「後藤さんそろそろ飛びそうですよ」と言って笑った。彼らはヤクザの戦闘員かもしれない。後藤さんはどこに飛んでいくのだろう。火星か木星のような気がするのだが、仕事の役に立たないから礼文島あたりに飛ばされるのかもしれない。かわいそうな気持ちになって、僕は泣いた。泣きに泣いて、僕の涙が淀川になったという伝説がある。

 

眠かったから電車の中でずっと寝ていた。三宮には6時くらいに着いたのだけれど行くべき場所が無い。観光施設の開館時間は9時か10時だからそれまで何をすればいいのだろうか。とりあえずメリケンパークにある神戸海洋博物館に行きたかったので、メリケンパークまで歩くことにした。俺の祖父は先の大戦中、空母・赤城の乗組員だった。船が沈んだ後、シャケと格闘して片腕を失いながら、なんとか近くの無人島に辿り着き、そこで3年間助けを待ったそうだ。血圧が高い時、祖父は「最近の若者は根性がない。日本の教育方針は誰が決めているのか知らないがゆとり教育の弊害だ。根性無しは一度、人民解放軍にぶち込んで戦闘意欲を植え付けた方がいい。そうしないと日本が滅びる」と言いながら日本酒を煽る。

 

三宮からメリケンパークまで歩くと30分くらいかかった。途中のデイリーヤマザキで朝飯のパンとおにぎりを買った。俺の場合、旅行中の食事は全てコンビニである。B級グルメとか郷土料理を食べに行きたいのだけれど、金がない。一食で二日分の食費が消える。僕は貧乏でコメに塩を振り、キュウリに味噌を塗って飢えをしのいでいる。だからコンビニの惣菜は本当に贅沢である。喜びの涙を流しながらおにぎりを食べた。こんな幸せは2度とないだろう、神が僕に与えた唯一のカタルシスだと思った、アルカイダの戦闘員にコンビニのおにぎりを与えれば、世界に平和が訪れるだろう、貿易戦争もなくなるだろう、新潟県産のコシヒカリだけが唯一の秩序になるだろう。

 

メリケンパークに7時くらいに着いた。とりあえず、ホテルオークラのお手洗いを拝借してクソをした。阪神・淡路大震災のメモリアルパークとか「BE KOBE」のモニュメントがあった。六甲山とか阪神工業地帯のクレーンも見えた。海風に吹かれながら僕はタンカーに大きく手を振った。無視されたので「馬鹿野郎」と大きな声で叫んだ。

 

f:id:yayayatototo:20190630204657j:plain

 

ベンチにホームレス(のように見える)人が寝転がっていて、その周りにはハトが群がっていた。僕は眠くて彼岸に片足を置いているような状態である。だから僕も同じようにベンチで寝た。最初からここで野宿すればよかったのだ。「野宿はホームレスへの一里塚」と社会福祉団体のパンフレットに書いてあったような気がするが、そんなことは関係がない。僕はベンチに寝転がって目を閉じた。ハトの気配がする。美味そうなハトだ。僕は夢の中でハトな丸焼きを食べていた。

 

↓ 続き

yayayatototo0308.hatenablog.com

ネットカフェに泊まるより公衆便所に立てこもるべきだ

俺は「ネットカフェに泊まるな。それよりも公衆便所に立てこもるかその辺で野宿したほうがいい」と叫びたい。

 


俺は梅田のネットカフェに泊まった。5時間で1500円くらいだった。本当に酷い夜だった。こんなことのために金を使うくらいなら、千円札をケツ拭きの代わりに使う方がまだ未練が少ないだろう。

 


僕はこの日、大阪に旅行に来ていて、たっぷり1日かけて23キロも歩いたのである。まるで枯れた植物のように疲れ果てた僕は、死に場所を見つけた兵隊のようにネットカフェに転がり込んだ。これで僕は救われると思った、世界は愛と勇気に包まれていると思った、諦めなければ夢は叶うのだと思った。

 


しかしどうであろうか。ネットカフェはマンガを読んだりパソコンで遊ぶための場所であり、泊まるための場所ではないのである。キャバ嬢を恋人にすることができないのと同じように、ネットカフェはホテルの代わりにはできないのだった。

 


ネットカフェといえば、僕はソファーが置いてあって、そこに座って仮眠くらいはできるものだと思っていたが、そうではないのだから驚きである。まさに便所の個室くらいの大きさに仕切ってあり、倒産した事務所から持ち込んできたようなオフィスチェアとディスクトップPCが置いてあった。

 


こんな便座に毛が生えた程度の椅子で寝るのかと思った。かなり疲れていて、次の日は神戸で遊ぶ予定だったからしっかり休みたかったのに、これじゃあろくに眠れないじゃないかと思った。高速バスで寝る方がマシなくらいである。

 


僕はまるで不良債権を抱え込んだ銀行家のようにやり場のない虚しさと後悔を抱きながら、ドリンクバーを探した。ドリンクバーを飲みまくってなんとか損失を抑えようと思った。心根が貧乏人のそれであることが虚しい。最初にアクエリアスを飲んだ。美味しい。きっとこのアクエリアスは、富士の湧き水に天使の涙を混ぜてできた聖水に、千人の美女が暮らす絶海の孤島にある塩田の塩を混ぜてあるはずだ。次にコーンポタージュを飲んだ。まずい。ゲロと小便を混ぜたような味と匂いで少しめまいがした。口直しにココアを5杯くらい飲んで、糖質を補給するためにガムシロップをありったけ飲んだ。

 


僕のブースに戻る途中、壇蜜白石麻衣の写真集が置いてあったので読んだ。一日中歩いたせいであまりにも疲れていて、全く興奮しなかったのがやや残念である。

 


5時間パックを申し込んでいたのだけれど、それを過ぎると延滞料金を徴収されるシステムである。絶対にそんなことのために金を払いたくなかったので、4時間50分くらいネットカフェで過ごしてから退室した。ほとんど徹夜したような状況でまだ眠かった。ネットカフェから大阪駅に向かう途中、大阪駅スカイウォークのナイアガラのような照明が消される瞬間を見た。朝の大阪の街は人通りが少なくて、まるで家具の無い家のようだった。僕は三宮を目指していた

 

f:id:yayayatototo:20190629203651j:image

リーズナブルな展望台を探そう〜お値段以上の景色見せてよ〜

これの続き

 

あべのハルカスの入場料って高くないか - 大和さまのブログ

 

要約すると

 

「ここであべのハルカスの入場料が、庶民のお金を勢いよく吸い込むようなボッタクリ価格なのか、僕のように貧乏で、錆びたクギをしゃぶりながら血を売り歩く商人にも優しい価格なのか調べようと思う。他の展望台の入場料に比べて、ハルカスの入場料は高いのか、安いのか、ということだ。評価軸は、入場料/展望台の高さ、だ。入場料を展望台の高さで除した。これにより、1メートル上昇するのにいくら課金するのかがわかる。」

 

天保山大観覧車

 

入場料700円 高さ112メートル 1メートルあたり6.25円

 

高校の修学旅行で行かされた記憶がある。どんな景色が見えたかよく覚えていない。理論上はUSJを見下ろせて、海がよく見える可能性が高い。この観覧車はカゴの中で飛んだり跳ねたりすると激しく揺れるのである。4人で乗ったのだが、そいつらがユサユサとカゴを揺らした。高所恐怖症の僕は高いところにいるだけで棺桶に足を突っ込んでいるような不安を覚えるのに、こんなことをされたので過呼吸になって意識を失い小便を漏らした。近くの薬局で僕は精神安定剤と紙オムツを買ってなんとかその場をやり過ごした。

 

 

神戸ポートタワー

 

入場料700円 高さ 108メートル 1メートルあたり6.48円

 

メリケンパークにある、まるで絞りたての雑巾のような形をした建物である。神戸市役所の展望台は無料なのでここには登らなかった。限りなく海に近いタワーなので夕日を見るのにはいい場所かもしれない。

 

神戸市役所

 

無料 高さ132メートル

 

金を取れるだけのスペックのある施設だと思うのだけれど、タダだった。だから施設としてはやや無骨だったが、ここに行くと、有料の展望台は、原理的には不要な装飾(受付のお姉さんとか天井が無駄に高いとか)をこしらえて、高級であるように見せて金を取っているんだなと思った。展望台はとりあえず高い場所にあって、そこから外が見えればいいのである。

公務員は副業が禁止されているらしいので、市役所の展望台でも入場料を取れないのかもしれない。錯覚なのだけれど、六甲山を見下ろしているような感覚になって、逆メガネみたいだな。

 

六甲ガーデンテラス

 

標高890メートル  車で行けばタダ(未確認)

 

先生、あのね、メリケンパークも阪神甲子園球場天保山関空も見えました。高いところから遠くまで見れました。楽しかったです。

 

東京タワー

 

メインデッキまで登る場合

900円 150メートル 1メートルあたり6.53円

トップデッキまで登る場合

2800円 250メートル 1メートルあたり11.2円

 

 

トップデッキは結構狭くて人間とすれ違うにも気を使うくらいである。どういうわけか、壁には万華鏡のように鏡が貼ってあって、まるで珍しいタイプのラブホテルみたいだった。僕のような田舎者は東京に行くと、まるで岩に群がる猿のように東京タワーに登りがちなのだけれど、レインボーブリッジとかスカイツリー、皇居、六本木ヒルズなど主要な建物が見えるので、なんとなく物産展で東京名物を爆買いしたような気持ちになる。嬉しい。

f:id:yayayatototo:20190621222425j:plain

 

(以下参考)

東京スカイツリー

 

展望デッキまで登る場合

2100円 350メートル 一メートル6円

展望回廊まで登る場合

3100円 450メートル 1メートル6.88円

 

東京都庁

 

無料 202メートル

 

富士山

 

登山道具、交通費、宿泊費など含めて

5万8千円(目安) 3776メートル 1メートル15.3円

 

五合目まで

新宿からバスで往復5400円 2305メートル 1メートル2.34円

 

以上です。

 

神戸市役所、東京都庁は無料でいい景色が観れるのでプライスレスだとわかった。さらに東京タワーのトップデッキに登った場合が最も「1メートル登るのに必要な課金額」が大きいとわかった。僕は高いところに登るのが大好きで、普段から下駄を3つ重ねて履いている。だから僕はエレベーターに乗っている時、背中に翼が生えているような気持ちになるのである。

 

 

あべのハルカスの入場料って高くないか

今君の目の前に1500円あったとしたら何に使いたいだろうか。ハーゲンダッツを買い占める者もいるだろうし、文学青年であれば村上春樹の新刊を買いに書店に駆け込むかも知れない。性に貪欲な変態中年オジさんは1500円を握りしめ、手に汗をかき、期待に胸と股間を踊らせてワクワクしながらコンビニのエロ本を買い占めるかも知れない。また、一攫千金を夢見て、細い綱の上を歩くようなハイリスク・ハイリターンを追求する猛者は、許される限りのレバレッジをかけてビットコインを買い付けるのだろうか。何しろビットコインは2017年の6月から12月にかけて約1000倍値上がりしたのだ。(6月の時点で200円→12月の最高値が220万。その後急落、合掌である)

 

ちなみに、あべのハルカスの入場料も1500円である。僕はこれが高すぎると思った。この金を稼ぐのに、90分働かなければいけないのである。だからハルカスの展望台で3時間かけて、舐めるようにじっくりと大阪の景色を眺めた思い出がある。

 

ここであべのハルカスの入場料が、庶民のお金を勢いよく吸い込むようなボッタクリ価格なのか、僕のように貧乏で、錆びたクギをしゃぶりながら血を売り歩く商人にも優しい価格なのか調べようと思う。他の展望台の入場料に比べて、ハルカスの入場料は高いのか、安いのか、ということだ。評価軸は、入場料/展望台の高さ、だ。入場料を展望台の高さで除した。これにより、1メートル上昇するのにいくら課金するのかがわかる。

 

あべのハルカス

 

入場料1500円、高さ300メートル。1メートルあたり5円

 

俺が行った時は、日没の半時間前に入場して焼けつくように赤いsunsetを見て、そのまま夜景を眺めていた。さすがに綺麗だった。大阪湾も大阪城も見下ろせた。俺は大阪の街を制圧したような気持ちになり、渾身の力を込めてガッツポーズしながら、敵を倒した狼のように野太い声で叫んだ。すると警備員が駆けつけてきてその晩は拘置所に世話になった。

 

通天閣

 

103メートル、700円。1メートルあたり6.79円

 

天王寺に行った時、近くにあべのハルカスがあるからスルーして、まだ一度も登ったことがない。ハルカスの開業で売り上げが落ちたのではないかと思う。HPを見たら通天閣を貸し切ってプロポーズや告白をするオプションもあるそうだ。ガンガン愛を申し込んで行こう!

 

梅田スカイビル

 

入場料1500円、高さ173メートル。1メートルあたり8.67円

 

ここは「空中庭園」とか抜かしているが、要するにビルの屋上に上がれますよ、ということである。このビルの地下に飲食店が多数入居していて、そこが1970年代の街並みがモチーフになっている。台場一丁目商店街みたいだった。一度行けば十分で積極的にリピートしたいとも思わないし、わざわざ行くべきでもないと思う。並レベルの顔面でやたら積極的な女みたいな印象がある。ここよりもハルカスの方が美しい光景を目にすることができるだろう。

 

f:id:yayayatototo:20190620112407j:plain

淀川が流れている

大阪ステーションシティー 風の広場

 

入場料 無料 高さ10階(推定30メートル)

 

JR大阪駅直結で、大阪駅の北側だけを眺めることができる。ビルの屋上に植え込みやベンチ、人工芝をこしらえた場所だ。僕は夜に行ったのだけれど、カップルがガチでいちゃついていて、グラビアアイドルのイメージビデオみたいな雰囲気になっていたのを覚えている。しかも(周辺にオフィスがたくさんある)社会人カップルは「いちゃつく」というより「交わる」というイメージで、かなり特殊な場所だった。

 

f:id:yayayatototo:20190620112606j:plain

この景色が観れる。

 

続く。⇩

yayayatototo0308.hatenablog.com

ネットに溶かした時間で僕たちは何ができたか

あてもなくダラダラとツイッターを眺めて何になるのか僕は知りたい。はっきり行って時間の無駄でしかない。こんなに虚しくて何にもならない時間の使い方は他にないと思っている。こんなことに時間を使うくらいならロウソクの炎で札を燃やした方がまだ後悔が少ないだろう。実際のところTwitterのtime lineなんかゴミを運んでくるベルトコンベアーとか、ウイルスを撒き散らす空気清浄機とか、体に悪い青汁とか、絶対にリターンがマイナスになる投資信託とかその程度のものなのである。自分より楽しそうな生活をしている奴のアカウントを見に行って、自分の生活に嫌気がさしてきて僕は、野菜ジュースを鼻からのめば彼らのようなキラキラLIFEを送れると勘違いしてそれ以来鼻炎になってしまった。今は1日3回抗生物質の服用を余儀なくされる毎日だ。

 

だいたいTwitterもそうだしInstagramだってYouTubeも貴重な時間を溶かす炎のような存在である。30分のtime lineを思い出すことができないのだから、そのTLを見ていた時間は全くの無駄だったと言わざるを得ない。液晶じゃなくて、世の中にはたくさんの見所がある。あべのハルカスの展望台から見たsunsetはまだ忘れられない。それなのに、Twitterの呟きはこれっぽっちも覚えていない。

 

そもそもTwitterの参加者の質自体が低いのである。書店や図書館に行けば人類史に残るような天才たちが書いたものを読めるわけだし、当然その辺のツイートなんかより質の高い文章である。Twitterでこの世の春のようにイキリ散らしている社長の呟きと、ノーベル賞候補にもなった村上春樹のエッセイだったら後者の方が高級だと思う。

 

本にはたくさんの名言があって「凡庸な人間に訓練を加えたところでタカが知れている」「役所の体質に30年漬けられては、まず人間としての良識を失う」「少しは考えて口をきけ」「グロテスクな極悪犯罪がなくなると庶民は気が飛ぶだろうね。どれだけ庶民の願望を代わりに満たしているか。あれは人間が望むから起こることさ」「低脳:知識の少ない考えない奴」「怒り:共同価値観の崩壊」「青春の期限はあなた自身が作るものです」って感じだ。

それなのに僕はツイッターを開いて時間を溶かしてしまうのである。これこそ真の意味での共依存である。別れた方が自分のためだとわかってるのに、それができればとても楽になるのに、みたいな。

 

ネットを見ると呼吸が浅くなって行って、戦闘意欲を失い、受け身の姿勢になって、行動するのが面倒臭くなる傾向がある。特に戦闘意欲を失うのが良くなくて、白旗を準備してリングに上がるボクサーみたいな人間に誰がなりたいだろう。

一年に何回か忘れられない夜があって、そういう時俺は今までに少しでも本を読んで勉強してよかったと思う。読書とかの積み重ねがなかったら絶対に対等に話ができなかったな、と思うからだ。

高校生だった頃、物理の先生(抜群に有能)に「物理とか勉強しても意味ねぇだろ」と言った。そうしたら「自分の友達がバカでいいなら勉強しなくてもいいよ」と言われたのを覚えている。結局、Twitterに時間を捧げているような奴じゃなくて、尖りまくって頭からコンドームを被せておかないと公衆衛生を乱す危険があるくらいの人と友達になりたかったら自分もそうならないといけない、って話なのだ。前からネットを見て時間を溶かすのをやめにしたいと思っているのにそれがなかなかできなくて、不甲斐なさと怒りに駆られている。今度こそ辞めないといけないのだが、酒飲みの断酒宣言のようにならないことを切に願う。