大阪で俺様とデート

旅行するのが好きでよく高速バスに乗る。大阪は高速バスのハブになっていて、バスを乗り換えるついでに大阪でも遊ぶ。午前中に難波に着いて、梅田発の夜行バスに乗る。まるで北を指さないコンパスみたいに、適当にぶらぶらするだけなのだけれどそれが楽しかったりする。

 

今回は、去年の夏に行ったあべのハルカス通天閣に再会しようと決めていた。難波から阿倍野まで歩いた。40分くらいかかった。大阪の人たちは色彩がわからないのか、交通ルールを知らないのか、信号を無視する人が多い。僕は小学校の先生に教えてもらったように、手をあげて横断歩道を渡るようにしている。なんという優等生だろう。大学でも授業に休まず出席して、今学期は首席だった。授業中にAmazon prime Video を見たり、インスタで水着の女を見ている助平もいるがそういう奴は大学生の風上にも置けない、腐った連中である。自分の根本的な能力が不足している連中は「学位」でそれを補おうとしがちだ。だから大学の授業が幼稚園のお遊戯会みたいに無秩序になるのだ。正直、授業をインスタでライブ配信すればいいと思うのだが、時代が俺様の発想に追いついてこないのがやや残念である。

 

新世界

通天閣界隈はいつ行ってもお祭りみたいな雰囲気がある。ここで日経平均株価とか憲法第九条の話をすると「お前みたいなバカはお利口ぶってないで、ウンコでもしてろ」とぶん殴られるかも知れない。難しい話はいらない、メシが美味かったらいい、みたいな解放感があってここに来るといつも踊りたくなる。俺は串カツの誘惑に負けて店に入った。僕は学祭で飲食店を出したことがあるのだが、食中毒を出さないように衛生面に気を使い、ゴム手袋、マスク、帽子は必須だった。しかし、この串カツ屋さんはこのような衛生面への配慮は皆無であり、素手で生の肉を扱う姿は原始人を彷彿とさせた。汚いという印象はないが、正直に言って、食中毒はおろか伝染病が発生する可能性を感じるくらいであった。まぁ揚げているので殺菌効果は高いはずである。

 

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大阪市立美術館

 

そこからあべのハルカスの方に歩いていると、大阪市立美術館日展の巡回展をやっているという看板があった。昔の俺は、美術作品などフンコロガシの足跡に毛が生えた程度のものだと認識していたのだが、去年国立西洋美術館に行ってから考えが変わった。美学、イマジネーション、根性、哲学、インスピレーション、怒りなどの結晶が絵画に現れているのだ。これほどまでに高尚な存在はないであろう。

 

国展は、審査を通過した作品の展覧会で、油絵、日本側、彫刻、銅像、書道のカテゴリーに分かれている。特に書道は字が読めなかった。楷書を判別する知識が足りないからである。僕に教養があれば楽しめたのにな、と残念な気持ちになると同時に、像が鼻で書いたような会所の文字を識別できる人間がこの世の中にどれくらいいるんだろうという疑問を抱いた。

 

絵画はかっこいい作品がいくつかあって、嬉しかった。とてもたくさんの絵が並んでいるのだけれど、もしこの中にピカソフェルメールの絵が紛れ込んでいたら、まるで森三中佐々木希が紛れ込んだように、一目でそれと分かるほど目立つのだろうか。気づくかも知れないし、気づかないかも知れない。恋は盲目であるのと同じように、確かなことはわからない。しかし、ピカソとその他大勢の画家の違いはどこにあるのだろう。あるいは、日展に落選した作品と、落選した作品にはどんな違いがあるのだろうか。俺にはよくわからない。世界には謎があふれていて、真理を追求するために僕はアテネに向かうだろう。エーゲ海にいる幻のマーメイドにキスをすると無限の知識が手に入るという伝説がある。