令和最初の夏に伊丹空港で夜景を見よう

 

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僕は美しいものが好きだ。「美しい」とは、それだけで神に近い存在である。ここで、美しいものとして夜景が挙げられる。だからこそ僕は、神に少しでも接近するべく夜景を見る旅に出かけた。心が洗われるだろう、純粋な僕に女神が優しく微笑むだろう、夜空に輝く星たちが僕のために光を放つだろう、雲のように柔らかな愛だけが唯一の秩序になるだろう。

 

 

伊丹空港

 

日没の一時間くらい前に伊丹空港に到着した。僕は空港の中にあったローソンで夕飯を調達して便所でそれを食べた。僕は大学にいる時、1人で食堂に行くのが怖いから怯えたリスのように丸くなって便所で昼食を食べる癖がある。だからこの日も1人で食料を持って便所に直行した。濡れた肌のように暖かい便座が僕の冷えた心と尻を励ましてくれる、というのは嘘である。これは大きな声では言えないライフハックなのだけれど、便所の中にはほぼ確実にコンセントがある。だからスマホの充電をしながら夕飯を食べようと思った。

 

ただ、空港の中にはカフェもあるし、鉄板焼き、寿司、洋食といろんな飲食店が出店している。便所飯などというプライドと品格を捨てて、野に下ったような行いに嫌悪感を覚える紳士淑女の皆さんはぜひこちらを利用していただきたい。まぁ普通は便所でご飯なんか食べないんだけどね。

 

伊丹空港の展望デッキは入場無料である。建物の五階くらいの高さにある。飛行機の発着回数もそれなりに多くて、飛行機の勇姿を眺めて大空を舞うロマンをかみしめたい諸君は、大阪に行った暁にはこの空港に立ち寄ることをお勧めする。田舎の滑走路に雑草が生えたような飛行場だと、二時間に一度くらいしか飛行機の発着がない。それでも飛行機オタクの皆さんは、頭にハチマキを巻いてカメラのレンズに息を吹きかけながら地元の飛行場に向かうのである。まるで不良の息子に仕送りするような虚しさを禁じ得ない。

 

残念ながら曇っていて、この日は夕日があまり綺麗ではなかった。風が強くて少し寒かった。日没後、少しずつ黒が染みていくようにして空が暗くなってきた。東の方に、まるでマッチ箱を立てたような大阪市街のビルの群れが見える。ビルの周りだけが内発的に光を放っているように見えた。綺麗だと思った。不謹慎な例えで恐縮だが、東京大空襲の時、少し離れた場所から爆撃を受けている都心を見ると、真っ赤に燃え上がっていて(まさに燃え上がるような赤)とても綺麗なのだと書いてあった。なんとなくそれに近くて、大阪市街にだけ異様なほど光が密集している。

 

空港のデッキにいたのは観光客よりも仕事上がりのサラリーマンの方々だった。まるでその場所が2人だけの国であるかのようにいちゃつくカップルもいなかった。働いた後にこのデッキの景色を見てから家に帰るのは羨ましいと思った。僕はまたここの景色を見たいと思った。さて、それはいつになるのだろうか。

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住み込みバイトは稼げる⁉︎楽しい⁈ブラックバイト!!!

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結論、住み込みのバイトは稼げる。その中でも1番稼ぎが良いのは、ナイトワークである。

 


https://www.rizoba.com/job/facilities_job/nightwork/?save_srch_param=1

 


↑離島(八丈島礼文島)のナイトワークの求人案内である。

 


時給1500円くらいだから、1日8時間働くと1万2000円/日稼げて、このペースで月20日働くと24万円/月稼げるのだ。住み込みのナイトワークをすると大卒の初任給より稼げてしまうと知って、僕は日本学生支援機構への負債が年々膨らんでいく現状を打破するために大学を辞めて、八丈島への航空券を手に入れた。

 


ただ、ナイトワークは歌舞伎町とかミナミでもできるし、そちらの方が一攫千金のチャンスもあるので首都圏在住の者がわざわざ離島に行くべきかどうかよくわからない。ネットで読んだ伝説によると、歌舞伎町のナンバーワンホストは女の子と呑んだくれた後、タク代の札束をグッチの財布に入れて、その財布ごと女の子に渡してしまうらしい。さらに、ロレックスの限定モデルが発売になった時、キャッシュで3000万先払いして、優先的に回してもらった者もいるというのだから驚きである。僕は一生かかってもそういう金の使い方ができないと思い、絶望のあまりサバの缶詰をストローで吸った。そのサバはまるで8日目の味噌汁のように酸っぱくて、塩辛い味がした。初恋の味だった。

 

住み込みのバイトは、ナイトワークじゃなくても稼げる。時給千円で1日8時間、20日働けば16万円稼げるのだ。さらに家賃(というか宿泊費)と食費は不要である。家賃は月4万だとしても1日あたり1300円である。食費も含めれば、住み込みバイトに行くだけで(理論上)1日あたり約二千円節約できる。

 


時給/日給の罠

 

住み込みバイトでは給料の支払いが時給制と日給制に分かれている。繁忙期(GW、夏休み、年末年始)にいくなら時給制の方が稼げるし、閑散期なら、日給制の方が(時給換算で)稼ぎが大きくなる。

繁忙期は働く時間が長くなるから、例えば日給八千円で10時間働かされるかもしれないのだ。これだと時給800円である。だけど時給制なら、働く時間が長くなるほど稼げるのだ。反対に閑散期に時給制で働くと案外稼げなくて、行方のない鳥のようにフラフラ彷徨うことになるかもしれない。だから閑散期は日給制の方が時給換算で給料が高くなると思う。

 

どんな人が住み込みで働いているの⁇

 

GWや夏休みの短期間だったら、大学生が多い。たまに「会社以外の場所で働いて見たいんですぅ」って社会人の方もいる。

 

それ以外の期間だとガッツリ長期で働きに来ているフリーターと旅人の中間みたいな人が多くなる印象。僕は「職業・旅人」と言ってさまよう生粋の浪人は中田英寿しか知らなかった。なんだけど、俺のバイト先にいた4人のうち3人が旅人で驚いたのを覚えている。「旅先で知り合った女の子とFacebookで連絡を取って一緒にボリビアパラグアイに行った。彼女はその2週間後に上場企業のサラリーマンと結婚した。僕はショックでファミチキを10個食ってから、赤玉ワインをラッパ飲みで立て続けに5本空けて、どん兵衛カップヌードルを生でかじった。次の日の朝、僕は新しいテニスシューズを買いに街に出かけた」と武勇伝を語る男と僕は同じ部屋に寝ていた。彼とはあまり仲が良くならないまま、僕は家に帰った。彼は今どこにいるんだろう。あるいは飛行機に乗って空を飛んでいるかもしれない。彼は旅人なのだ。

大阪旅行1days!! 〜万博記念公園に住む魔物~

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https://yayayatototo0308.hatenablog.com/entry/2019/06/03/151412

 

↑これの続き↑

 

モノレールに乗って万博記念公園に向かった。16:00くらいに着いたのだけれど、EXPO70と国立民族学博物館(どちらも記念公園の中にある)の閉館が17:00だから、俺は試合終了間際に攻め急ぐサッカー選手のように焦りながら館内を巡った。

 

EXPO70では、EXPO2025開催を祝って特別展を開催していた。「私が見たEXPO70」というパネルと、カラカラに干からびたようなEXPO70の記念品を開陳してあるだけなのに500くらい課金させられた。「こんなのは市役所のロビーでやれよ」という怒りがこみ上げてきて、僕は特別展のチケットをビリビリに破いて、それを犬の小便で煮て丸めて、職員に投げつけてやろうかと思った。

 

二階の常設展では、万博の招致、期間中の狂気と熱狂、それが終わった後の夢の後始末という順番で展示品が並んでいる。特に万博のプロデューサーの面子が豪華だった。岡本太郎亀倉雄策、小松右京などである。これを見てEXPO 2025では、村上春樹安藤忠雄宮崎駿秋元康みたいな人たちがプロデューサーをやるのかなぁと思った。

 

国立民族学博物館に入館したのが閉館時間の30分前だったから、ほとんど早歩きで館内を見て歩いた。各民族の伝統文化を象徴する物(家とか食事とか祭り)が並んでいた。パッと見た感じだけど、どこの国でも都市化していない場所にだけ伝統文化が存続しているような印象を受けた。もう100年くらいしたら霞ヶ関や有楽町でも神輿を担いで、露店が並ぶような祭りが開催されるのだろうか。

 

この博物館は見どころが多くてゆっくり見て歩きたかったのだけれど、閉館時間が迫ってきてTwitterのタイムラインをスクロールするような勢いで見学するしかなかったのは残念である。今思い出しても悔しさがこみ上げてきて、涙が止まらなくなり目の下に吸水シートを貼り付けた。

 

国立民族学博物館を出たあたりにも万博記念公園の入口があった。僕はモノレールから降りて、そのまま正面から入場券を買って入ったのだけれど、裏に回れば無料で入園できるのだから驚きである。ちょっと信じられなかった。まさに金をドブに捨てたというか、タダで貰えるものに金を払ったのが悔しくて、怒りがこみ上げてきて僕は太陽の塔に噛り付いて前歯が4本抜け落ちた。

 

でも万博記念公園は良い場所だと思った。梅田界隈にある骨壷みたいなビルよりモサモサと木が茂っている公園の方に惹かれてしまう。僕がホームレス生活を余儀なくされるとしたら、この公園で生活しようと思う。ちゃんと稼げるようにならないと、この旅行で公園に来たのを「新居の内覧」と言われるだろうから頑張って稼ごうと思った。

 

思わず目を閉じてしまうほど眩しい西日を浴びる太陽の塔にウィンクをキメて僕は万博記念公園を後にした。グッバイ。また来るからね。一日中立ちっぱなしで、かなり長い距離を歩き、まるで水の中を歩いているように足が前に出ない。それでも僕は大空を舞う飛行機と飛行場から見える景色に恋をしているから、伊丹空港に乗り込んだ。



大阪観光〜1日で大阪を堪能したい君たちへ〜

そういえば、修学旅行の班別自主研修の計画を立てた時は、大阪市の電話帳を取り寄せて片端から電話をかけてオススメの場所を聞きまくった。というのは嘘なのだけれども、どこに行くべきか事前に調べておかないと、旅行から帰ってきた後で「ここにも行っておけばよかったのに惜しいことをしたなぁ」とまるでハズレ馬券を眺めるような気持ちになってしまう。

 

僕がリサーチに使ったのは、るるぶ、マップル、マニマニ、ことリップである。図書館に行けば無料で読めるし、複数の旅行本を比較できるのでうれしい。ちなみに、るるぶとマップルはミーハーで若い女の子が好きそうな場所を多くピックアップしているイメージ。神社とか美術館とか己の美学を磨くためのスポットを目指したい諸君はマニマニ、ことリップを参照されたい。どちらもマイナーであることは否めないのだけれど、素材を活かす上質なスパイスのような趣のガイドブックである。

 

一通りガイドブックを読んで、行きたいと思った場所をリストアップした後で、グールマップを印刷して、地図にリストアップした場所とその営業時間を書きこむ。そうすると、どういう順番で巡ればいいかすぐにわかるし、旅先でいちいちスマホを調べる手間も省ける。ネットの口コミサイトは情報が多すぎて、結局どこに行けばいいのかわからなくなってしまいがちだし、構造上デタラメな情報も存在する可能性があるので信用しないようにしている。例えば清水寺の口コミを想像だけで「修学旅行中のJKに見とれていたら清水の舞台から落ちてしまいました」「産寧坂のお土産屋さんに清楚で色っぽいお姉さんがいました。嬉しくなって声をかけたら頰を張られたのですが、これはこれでご褒美だと思いました」と書きこむことは可能である。

 

 

で、俺は中之島図書館→大阪市中央公会堂国立国際美術館万博記念公園→EXPO 70パビリオン→国立民族博物館→伊丹空港→阪急グランドビル→大阪ステーションシティ→ネットカフェでお泊まりという道を歩いた。ちなみに、万博記念公園より後ろは事前に計画していない、アドリブである。

 

中之島図書館

 

日本で最も有名な図書館の1つだと思う。オフィス街の真ん中にあるからなのか、ビジネスマン向けの本(社会科学系、経営学会計学とか)の本が多い。小説やエッセイは少なかった。現代建築は無駄なものを徹底的に排除した、直線的なものが多いけど、中之島図書館は近代建築なので、まるで金ぐしを差し込んだヘアアレンジのようにゴージャスな建物だった。建物の中はじんわり時間が流れていくような雰囲気で、外の商業的な慌ただしさを隔絶しているようだった。

 

大阪市中央公会堂

 

明治時代の金持ち(確か、今でいうIPOで一儲けした人)が社会貢献事業として出資してできた建物である。この時期の金持ちは行政の事業に寄付をしている人が多いイメージがある。それから、これも近代建築である。近代建築にも系統があって、ちゃんと識別できるようになりたいとは思うのだけれど、それよりも先に僕はAKB48の全メンバーの顔を覚えたいのでそっちを優先している

 

 

国立国際美術館

 

お前が絵を見つめる時、お前もまた絵に見つめられているのだ、とフランス人のアントワーヌ・セドゥが言っていた、というのは嘘である。抽象芸術の特設展を開催していた。俺が絵の良し悪しを決めるときの基準は「ココロが動いたかどうか」「画家のタマシイを感じられるか」「アタラシイ自分に出会えたかどうか」みたいな、自意識追求型・能天気的意識高い系とは一線を画している。ただ「自分の部屋に飾りたいと思うか、思わないか」である。ちなみに、僕はピカソの破壊的な絵を見たとき、激しい衝動にインスパイアされてどういうわけかその絵に己の鼻くそを塗り付けたくなったが、善良な日本国民として風紀をみだす行動は控えた。部屋に飾る時は落ち着いたシンプルな絵がいいな。

 

僕は中学生の時、どうも絵が上手く描けなくて、息子の弁当に手作りの卵焼きを入れないと気が済まない頑固な教師に注意されたことがある。丁寧さが足りないとか、絵の具の水分が多いとか、もっと奥行きを出せとかである。そういうのが面倒くさくて美術などは犬の糞を踏んだスニーカーのような扱いをしていたのだけれど、最近になって絵を見るのが面白いと思うようになった。だいたい、美術館に行けばすぐにわかることなのだけれど、絵を描く、ということに関してルールや正解など一切ない。何でもありでワイルドな荒野のように開拓する自由があるのだ。例えば、茶色の絵の具の代わりに自分のクソをキャンパスに塗りつけても「これが巨匠のイマジネーションである」と言われるかもしれない。俺様が書いた絵にチャチャを入れたベテラン・クレーマーのような教師は、美術館に飾ってある抽象芸術や、あるいはピカソジョアン・ミロの絵を見た時「まずは丁寧にデッサンをしなさい」「まっすぐ線を引きなさい。震える手で筆を持ったの?脳卒中かしら」と呟くだろうか。あまり有名ではないピカソの絵をその教師に提出したら、通知表の成績はどうなるのだろうか。中学時代の美術の授業を思い出していると、その時の雰囲気が思い出されて、昔は毎日一緒に遊んでいた友達のLINEもどこに住んでいるかも知らない。中学の卒業式は5年前の話なのだけれど、どれだけ背丈が変わろうとも変わらない何かがありますように、と。

怠惰

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最後の家族  written by Ryu Murakami 

 


会社の業績が傾いて給料が下がりリストラの可能性もある父親、専業主婦の母親、引きこもりの兄(21)、JKの妹という家族の話。

 


父親の年収が400万まで下がって、貯金は減り続ける。その上住宅ローンの返済と妹の大学進学にも金が必要で、家計はまるで押しつぶされたように逼迫していて胸が痛んだ。

 


日本はゆっくりと衰退しているから(高度経済成長期とは違い)所得の大幅な上昇は望めない。

 


 


賃金は上がらないし、大企業でさえも倒産やリストラの可能性もある。よって「いい学校→いい会社=いい人生」みたいなライフプラン(30年前はこれが通用したのか知らないけど)が崩壊した。

 


 


しかし、日本全体がそれに変わるライフプランを示せていないから、個人は露頭に迷う。

 


 


自分で決めたことをやるようにすれば幸せになれるんじゃないかという救いを持たせてこの小説は終わった。

 


華麗なる一族 (上巻)

written by Toyoko Yamasaki 

 


銀行と鉄鋼業を経営する一族の話。「最後の家族」はヒラ社員・庶民の貧乏が故の苦悩だったけれど、こちらは上級階級が故の苦悩があった。閨閥の維持、発展のために親が結婚の相手を決めるとか、ライバルの銀行との競り合いで疲弊したり、頭取に経営の才能がないと会社が傾いてしまう。

 


大阪万博開催予定地の土地買収費用が吹田近辺の農家に振り込まれる!それを預金してもらおう!大作戦に高度経済成長期の勢いと泥臭さを感じ、年功序列、終身雇用、家長制度、企業戦士、お見合い結婚など、前世代的な不文律が通奏低音のように響いていた(ように感じる)。

 


クライマーズ・ハイ

 


御巣鷹山事故を報道した北関東新聞社の話。後半にかけてお涙頂戴になってくるから前半だけ読めばこの本の醍醐味が味わえるはずだ。新聞社内の政治的取引を垣間見れる。社内の右派と左派で揉めて、紙面構成を巡る怒鳴り合い、原稿の締め切り、重要人物にまとわりつくように張り付いての取材、取材についての命令を聞かず、我流で取材しようとする部下、そういうのが全て企業で働く煩わしさを象徴している気がした。

 

 

 

 

 

 

400

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新潟発・小樽着のフェリーは朝の4時に小樽に到着した。港から最寄りの南小樽駅まで朝日を浴びながら歩いた。札幌には8時前くらいに到着したのだけれど、観光施設(テレビ塔とか時計台とか)は9時か10時営業開始なのでそれまでやることもないし、行くべき場所もない。ただ、大通公園とすすきのは時間帯に関係なく見て回れると思ったのでとりあえずそこに行くことにした。

 

札幌の道路は定規で線を引いてから作られたみたいに真っすぐで、直角に交わっている。道幅も広くて、地図を見れば自分がどこにいるかすぐにわかる。大通公園はまるで巨大な棺桶のように札幌の街に横たわっているのだけれど、それを横切ると街の風景が変わり始める。札幌駅と大通公園までのエリアはオフィスビルが立ち並んでいて、銀行とか投資信託の看板が目立ち、金融街という感じである。

 

それが大通公園の向こう側はまるで人間の欲望が直接的に噴き出しているように、アコムとプロミス、ホストとキャバ嬢の看板が誇らしげに掲げられていた。この日に北海道庁旧本庁舎に行って知ったのだけれど、すすきのは開拓史が入植した時に作った遊郭である。Wikipediaによると開拓者を札幌に繫ぎ止めることも意図していたようだ。ワイルドで直接的なアイデアである。おかずがない時のマヨネーズご飯みたいだ。今、人口流出が著しい離島や山間部に歓楽街を誘致したらどうなるのだろうか。ただでさえ高血圧のジジイが揺れるおっぱいを見て、心筋梗塞脳卒中で倒れてしまうかもしれない。

ただ、歌舞伎町で売れなくなったキャバ嬢を地域おこし協力隊として受け入れ、廃校になった空き校舎を無償で貸し出せば、少しはマシになるかもしれない。風紀が乱れるとかそういう反発があって実現しないだろうが、すすきのは開拓者を繋ぎ止めるためにできたらしい。よほどなりふり構っていられない状況だったのかもしれないし、開拓者は男だらけで最初から風紀もクソもないような状況だったのかもしれない。僕はすすきのにあるドン・キホーテで1斤70円の安い食パンを買って、それを齧りながら歩いた。営業終わりの、売れないホストもあるいはこの食パンをかじって飢えをしのいでいるのだろうか。

 

すすきの界隈のお寺、二ヶ所を巡った。朝のお経をあげていて僕はお参りした。若い和尚はまるで緻密な機械時計のように規律に沿った動きをするし、ベテランの和尚は滑らせるように柔らかい動きをしていた。体が規律的な動きに馴染んでいるみたいだ。中島敦が書いた名人伝のモチーフと似ているような気がした。下世話な話で恐縮だが、僕が行ったお寺は両方ともかなりの収入があるはずだ。なぜなら本堂に隣接した納骨堂(墓を建てる代わりになる)があり、法要や小規模な葬式を開ける施設もあったからだ。都市部に近く、商圏の質としても十分だ。ネットで調べたところによると、葬式の際のお布施は15−50万円だ。15万円だったとしても週に2度葬式に呼ばれれば月収120万、年収1400万円である。だいたい、1日に15万も稼げる仕事などどこにあるというのだろう。とても罰当たりな計算をしてしまったので、僕は死ぬまで念仏を唱えてもロクに成仏できないだろう。

 

その後で、北海道庁旧本庁舎に行った。明治時代に建てられた赤レンガの建物である。入場無料だった。その中に「樺太関係資料館」があった。司馬遼太郎が「清に勝って、ロシアにも勝ったけどその後でひどい負け方をした。大陸で起きたことを追えば日本の近代化がわかる」みたいな事を言っていたのだけれど、そんな感じだ。日露戦争に勝って、大富豪で一番強いカードから出していくみたいにして樺太に出ていくのだけれど、その後で返り討ちにあって酷いことになるストーリーの展示である。銃弾が貫通したヘルメット、飯盒、水筒を見て、戦争をやるとこうやって人が死ぬんだなと思って、しばらく立ち尽くしてしまった。このヘルメットは、本土にまるで幻の花のように可愛いフィアンセを残して死んだ男の物だったかもしれないし、飯盒は農家の6男で樺太に行く以外に食っていく方法がない人の物だったかもしれない。僕は三年前に犬のフンを食ってチフスになって死んだ弟の形見を、偶然部屋で見つけたような気持ちになった。

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なんとか樺太を脱出した後もまだ難しい状況は続く(無事に脱出するだけでもかなり困難なミッションなのだけれど)。この6畳二間に13人スシ詰の写真が象徴的である。家具や荷物を置かなくても一人当たり1畳のスペースしかない。そこで毎日生活するだけでも大変なはずである。あるいは現代人が甘えた生活をしているだけかもしれない。

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僕は最近恥ずかしい思いをした。俺は「年寄りは日本の経済が成長していた時に働けたんだから、羨ましいぜ!たっぷり貯金もあって、年金もらって、置き土産に金を残して死んでくれねぇかなぁ」と言った。そうしたら「でも今の年寄りだって、経済成長する前はとても苦労していたはずだし、彼らの奮闘があって今の日本があるんだよ。」とカウンターを喰らった。理学部に行っているやつで、思考の強さを感じた。金融機関では、(金融知識が薄かった)理系学部の卒業生が、経済学部の卒業生をごぼう抜きにしていくことがよくあるらしい。俺はこの時その意味がよくわかった。

沈まぬ太陽という小説がある。1985年にJALの飛行機が群馬県に墜落した時の話だ。「主翼の近くにあった遺体は特に損傷が激しく、黒焦げになって身元がわからない」「シートベルトに腹を千切られて、上半身と下半身が分離している遺体もあった」のような事故現場の描写が頭から離れず、僕はそれ以来飛行機に乗るのが怖くなってしまった。僕はまるで臆病な七面鳥のように度胸がない。だから常に怯えていて、警察官を見ただけで逮捕されるんじゃないかと怖くなり、汗が止まらなくなって脱水症状で気絶をしたことがあるし、家の外に出るときはアメリカ軍払い下げの防弾チョッキを着込んで万が一に備えている。そんな訳で、俺は新千歳空港着の飛行機を見上げながら新潟港発・小樽港着の新日本海フェリーに乗り込んだ。

 

新潟を昼の12時に出発して、翌日の朝5時に小樽に着く。フェリーの客室にもヒエラルキーが存在していて、庶民と同じ空気を吸いたくない散財主義的上流階級向けの客室は豪華なのだけれども、俺は最低料金の客室を選ばざるを得ない。寝台列車の客室とほとんど同じである。横になって眠れるだけのスペースとその脇に荷物を入れるロッカーがあった。出航の30分くらい前にフェリーに乗り込んで、船のデッキから新潟の街並みや越後山脈を眺めていた。頂上の近くにはまだ雪が残っていて、まるで塗装が剥げたドアノブのように見えた。

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船が防波堤の外に出て新潟市内の建物の影が次第に遠ざかり小さくなっていく。僕は地元を出発する時、握った紐がスルスルと巻き取られていくような寂しさを覚える。この時もそんな感じだった。

 

船の上では本当にすることがない。寝るか海を眺めるか、そのどちらかだった。本当は本を読もうと思って何冊か(蝉しぐれ資本論ヴェニスの商人、空気の研究、時が滲む朝、神様のカルテクライマーズ・ハイ、坑夫)Kindleに落としておいたのだけれど、船が揺れてそれどころではなかった。まるで船が殴られたようにグラグラと恐怖を感じるような揺れ方ではなくて、まるで不快感を覚えるハンモックのような揺れ方である。タラーン、タラーン、みたいな。具合が悪い時の目まいとか、立ちくらみのような状態がずっと続いて、気持ち悪かった。要するに船酔いである。だから大体の時間は寝て過ごしていて、あとは海を眺めていた。僕は海に沈む夕日をフェリーから見れるんじゃないかと期待していたのだけれど、それも叶わなかった。曇っていたからだ。日頃の行いが悪いせいだろうか。そういえば僕はフェリーの運賃を払うために母親の財布から、福田諭吉の肖像画が書いてある紙切れをそっと引き抜いたりした。今更になって胸に手を当てて十字架を切っても遅すぎるのだろうか。

 

ちなみに、フェリーに乗っている時は携帯の電波は通じない。ずっと圏外である。ただ例外があって、粟島沖を通過する時だけ電波が通じた。島のすぐ近くを通過するから電波を拾えたのである。僕はしめしめと思って、まるで財布を拾って喜ぶ小学生のようにtwitterを眺めていた。そして電波が繋がらなくなってふと顔を上げると、島を通り過ぎていた。まるでコンベアーで運ばれてくるゴミのようなに下らないツイートに夢中になってしまい、海に浮かぶ粟島を見過ごしてしまった。これはもったいないことをしたと思うのと同時に、今までネットに費やしてきた時間を読書に振っていれば、僕の脳みそも上等なものになっていたに違いないと思い、悲しい気持ちになった。