ネットに溶かした時間で僕たちは何ができたか

あてもなくダラダラとツイッターを眺めて何になるのか僕は知りたい。はっきり行って時間の無駄でしかない。こんなに虚しくて何にもならない時間の使い方は他にないと思っている。こんなことに時間を使うくらいならロウソクの炎で札を燃やした方がまだ後悔が少ないだろう。実際のところTwitterのtime lineなんかゴミを運んでくるベルトコンベアーとか、ウイルスを撒き散らす空気清浄機とか、体に悪い青汁とか、絶対にリターンがマイナスになる投資信託とかその程度のものなのである。自分より楽しそうな生活をしている奴のアカウントを見に行って、自分の生活に嫌気がさしてきて僕は、野菜ジュースを鼻からのめば彼らのようなキラキラLIFEを送れると勘違いしてそれ以来鼻炎になってしまった。今は1日3回抗生物質の服用を余儀なくされる毎日だ。

 

だいたいTwitterもそうだしInstagramだってYouTubeも貴重な時間を溶かす炎のような存在である。30分のtime lineを思い出すことができないのだから、そのTLを見ていた時間は全くの無駄だったと言わざるを得ない。液晶じゃなくて、世の中にはたくさんの見所がある。あべのハルカスの展望台から見たsunsetはまだ忘れられない。それなのに、Twitterの呟きはこれっぽっちも覚えていない。

 

そもそもTwitterの参加者の質自体が低いのである。書店や図書館に行けば人類史に残るような天才たちが書いたものを読めるわけだし、当然その辺のツイートなんかより質の高い文章である。Twitterでこの世の春のようにイキリ散らしている社長の呟きと、ノーベル賞候補にもなった村上春樹のエッセイだったら後者の方が高級だと思う。

 

本にはたくさんの名言があって「凡庸な人間に訓練を加えたところでタカが知れている」「役所の体質に30年漬けられては、まず人間としての良識を失う」「少しは考えて口をきけ」「グロテスクな極悪犯罪がなくなると庶民は気が飛ぶだろうね。どれだけ庶民の願望を代わりに満たしているか。あれは人間が望むから起こることさ」「低脳:知識の少ない考えない奴」「怒り:共同価値観の崩壊」「青春の期限はあなた自身が作るものです」って感じだ。

それなのに僕はツイッターを開いて時間を溶かしてしまうのである。これこそ真の意味での共依存である。別れた方が自分のためだとわかってるのに、それができればとても楽になるのに、みたいな。

 

ネットを見ると呼吸が浅くなって行って、戦闘意欲を失い、受け身の姿勢になって、行動するのが面倒臭くなる傾向がある。特に戦闘意欲を失うのが良くなくて、白旗を準備してリングに上がるボクサーみたいな人間に誰がなりたいだろう。

一年に何回か忘れられない夜があって、そういう時俺は今までに少しでも本を読んで勉強してよかったと思う。読書とかの積み重ねがなかったら絶対に対等に話ができなかったな、と思うからだ。

高校生だった頃、物理の先生(抜群に有能)に「物理とか勉強しても意味ねぇだろ」と言った。そうしたら「自分の友達がバカでいいなら勉強しなくてもいいよ」と言われたのを覚えている。結局、Twitterに時間を捧げているような奴じゃなくて、尖りまくって頭からコンドームを被せておかないと公衆衛生を乱す危険があるくらいの人と友達になりたかったら自分もそうならないといけない、って話なのだ。前からネットを見て時間を溶かすのをやめにしたいと思っているのにそれがなかなかできなくて、不甲斐なさと怒りに駆られている。今度こそ辞めないといけないのだが、酒飲みの断酒宣言のようにならないことを切に願う。