メリケンパークで鳩に餌をくれた

これの続き

ネットカフェに泊まるより公衆便所に立てこもるべきだ - 大和さまのブログ

 

朝の5時くらいに大阪駅から電車で三宮に向かった。駅の中にあるコンビニのシャッターは閉まっていたし、コンコースにも人がいなかった。まるでマフィアが人さらいをした後のような雰囲気だった。誰もいない駅はやけに広く見えた。僕の部屋は2畳しかなくて、同人誌と写真集が山積しているから足を伸ばして寝ることができない。まるで牢屋である。僕は悔しい気持ちになって、便所からケツ拭きを3つ持ってきてそれをゴミ箱に投げ込んだ。胸がすっきりして、僕は足がもつれても踊るのをやめない踊り子のようにウキウキしながら電車に乗った。

 

電車の中で、向かいの席にスーツを着た若い男が2人で座っていた。片方が「後藤さんそろそろ飛びそうですよ」と言って笑った。彼らはヤクザの戦闘員かもしれない。後藤さんはどこに飛んでいくのだろう。火星か木星のような気がするのだが、仕事の役に立たないから礼文島あたりに飛ばされるのかもしれない。かわいそうな気持ちになって、僕は泣いた。泣きに泣いて、僕の涙が淀川になったという伝説がある。

 

眠かったから電車の中でずっと寝ていた。三宮には6時くらいに着いたのだけれど行くべき場所が無い。観光施設の開館時間は9時か10時だからそれまで何をすればいいのだろうか。とりあえずメリケンパークにある神戸海洋博物館に行きたかったので、メリケンパークまで歩くことにした。俺の祖父は先の大戦中、空母・赤城の乗組員だった。船が沈んだ後、シャケと格闘して片腕を失いながら、なんとか近くの無人島に辿り着き、そこで3年間助けを待ったそうだ。血圧が高い時、祖父は「最近の若者は根性がない。日本の教育方針は誰が決めているのか知らないがゆとり教育の弊害だ。根性無しは一度、人民解放軍にぶち込んで戦闘意欲を植え付けた方がいい。そうしないと日本が滅びる」と言いながら日本酒を煽る。

 

三宮からメリケンパークまで歩くと30分くらいかかった。途中のデイリーヤマザキで朝飯のパンとおにぎりを買った。俺の場合、旅行中の食事は全てコンビニである。B級グルメとか郷土料理を食べに行きたいのだけれど、金がない。一食で二日分の食費が消える。僕は貧乏でコメに塩を振り、キュウリに味噌を塗って飢えをしのいでいる。だからコンビニの惣菜は本当に贅沢である。喜びの涙を流しながらおにぎりを食べた。こんな幸せは2度とないだろう、神が僕に与えた唯一のカタルシスだと思った、アルカイダの戦闘員にコンビニのおにぎりを与えれば、世界に平和が訪れるだろう、貿易戦争もなくなるだろう、新潟県産のコシヒカリだけが唯一の秩序になるだろう。

 

メリケンパークに7時くらいに着いた。とりあえず、ホテルオークラのお手洗いを拝借してクソをした。阪神・淡路大震災のメモリアルパークとか「BE KOBE」のモニュメントがあった。六甲山とか阪神工業地帯のクレーンも見えた。海風に吹かれながら僕はタンカーに大きく手を振った。無視されたので「馬鹿野郎」と大きな声で叫んだ。

 

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ベンチにホームレス(のように見える)人が寝転がっていて、その周りにはハトが群がっていた。僕は眠くて彼岸に片足を置いているような状態である。だから僕も同じようにベンチで寝た。最初からここで野宿すればよかったのだ。「野宿はホームレスへの一里塚」と社会福祉団体のパンフレットに書いてあったような気がするが、そんなことは関係がない。僕はベンチに寝転がって目を閉じた。ハトの気配がする。美味そうなハトだ。僕は夢の中でハトな丸焼きを食べていた。

 

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