鳥取旅行2日目 憩う里山編

レンタカーを調達して鳥取をぐるぐるまわった。やれやれ。24時間で250キロくらい走行したので虎がバターになったかもしれない。


最初は観光名所を巡ることが目的だったのだけれども


現金が底をつき、デビットカードが使えなかったので、入場料を払えない


レンタカーの返却時間が迫ってきて、時間が足りない


運転するのが楽しくなってきて、車から降りたくない


という理由により、観光名所の近くを通るのだけれどそこに立ち寄らない、というまるでガサ入れに失敗したポリ公みたいになってしまったのはやや残念である。


ただ、鳥取の道路は運転していて楽しいのは事実であり、なぜなら


まるで山猿が人さらいをした後のような田舎なので人口が少なく、故に交通量が少なく、自由に走れる(中山間地域はお巡りも少ない)


山と海があるので、最高のロケーションである。


というのが理由である。


俺は道草くいながら鳥取市から智頭方面に行った。

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原城


豊臣秀吉鳥取城の山名豊国をしばいた時、拠点にしたそうである。標高100メートルの山城で、山頂に駐車場と模擬天守があった。駐車場からは鳥取の市街地と鳥取城(久松山)が見えた。500年くらい前に豊臣秀吉  正二位・内大臣も同じ風景を眺め、軍隊を指揮していたのかと思うと、少しだけ感動を覚えた。


模擬天守の入場料は現金でなければいけないそうである。鳥取は田舎なので日本円が流通していないのは当然であり、米俵や塩を支払うと思っていたが、現金が使えるのだから驚きである。

 

本当は、カードが使えるはずだと思い、小学生の小遣い程度の現金しか持っていなかったので、入場料を払えなかった。無念である。僕は取り乱してしまい、半狂乱になって職員の方に馬乗りになりながら悲しみのラーメンをすすった。


模擬天守はまるで避難小屋みたいな4階建ての建物である。中は資料館になっていて、最上階は展望台になっているようだ。


現代になってから再建された天守閣はどうして馬鹿の一つ覚えみたいに、資料館を兼ねているのだろう。残念であること甚だしい。うんこ味のカレーレスとか、大昔の戦闘食とかを出すレストランとか、中世の監獄や寝室をモチーフにしたラブホを兼ねても良いのではないかと思う。

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次に行ったのが用瀬。


元々、宿場だったらしく、今もそんな感じの雰囲気である。僕は芦屋の、まるで要塞みたいな大豪邸が並ぶ街並みに比べると、用瀬は昭和ひと桁の時代みたいだった。


駅前の住宅地に小川が流れていたのだけれど、都会っ子の僕はそのことがまだ信じられない。

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用瀬運動公園


旧ソ連みたいなネーミングだけれど、実際の施設もなんとなくそんな趣があった。斜面を切り出して作ったような公園で、その傾斜を利用した、資源の無駄遣いみたいにクソ長い滑り台と、サッカーコート、野球場があった。


高台になっていて、周辺の田園と里山を一望できた。ここら辺の小学生は放課後、田んぼに分け入ってカエルとザリガニを釣り上げ、それを刺身にして喰ってから、この公園に来て野球とかサッカーをするのかと思った。


ここら辺んの高校生は授業をサボってこの公園に来て、芝生に転がって空を見るはずである。俺もそういうことをしていた。大学を辞めて初めて気がついたのだけれど、僕にとってこの世で最高のカタルシスは「授業をサボってその辺をフラフラすること」である。


どういう訳か血が騒ぎ、胸騒ぎがしてワクワクするのである。高校生のうちにもっとふざけたことをしておけばよかったと思う。例えば、夜、グラウンドに落とし穴を掘るとかである。