鶴舞う形の鶴ヶ城

高速バスのトランジェントで4時間ほど会津若松で暇ができたのでその辺をフラフラした。会津若松といえば、俺が小学校の修学旅行で訪れた思い出の地である。遠い季節の思い出に郷愁を馳せているうちに、僕は過ぎ去りし日々に置き忘れた「ミュージシャンになる」という夢を思い出して涙がこぼれた。僕は地面に膝をつき、悔しさを絞り出すようにして拳を握りしめて、1人でも傷ついた夢を取り戻そうと決意した。というのは嘘で、修学旅行に関して、特別な思い出は特にないのが正直なところである。

 

まずは鶴ヶ城に向かった。城と言っても、今建っているのは城の形をした1665年に復元された鉄筋コンクリートの建物で、ただ特殊な形をした展望台・博物館と実質的には同じである。3階までが鶴ヶ城のクロニクルみたいになっていて、4階が会津の偉人紹介、5階が展望台である。

 

小学校の修学旅行でこの鶴ヶ城に来たことは覚えている。当時の俺は野生動物と同じ位の知性で生きていた。だから城内の展示品を見て、なんでも鑑定団に出して見やがれ、年寄りの趣味を小学生に見せつけて偉そうにするな、昔の城主がそんなに高級か、そいつはもう死んでる、と思っていた。ただ、当時の友達の何人かは興味深そうに展示品を見つめていた。今思えばこれが教養の差である。俺は「竜馬がゆく」を読んでやっと明治維新の概要を理解したのだが、賢い小学生は江戸期における武将の相関関係や政治的力学を把握している。僕は自分の無知を恥じて、反省の念を込め、天守閣から飛び降りようかと思ったが公共の福祉を考えて遠慮した。

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天守閣のてっぺんが展望台になっている。会津は盆地で、周りの山の影が存在感がある幽霊みたいにくっきり見えた。会津の街並みは、会津若松駅の周りに干からびたモヤシのようなビルがいくつか建っているだけで、他は低層の建物が多い。通信制限を喰らったスマホのように身体と頭の働きが鈍くなった年寄り向けの景色である。時間をスロー再生しているような長閑さがあって、早く年寄りになりたいと思った。

 

城内にみやげ屋さんがあった。赤べこ、くるみ餅、喜多方ラーメンなど、主張がない国会議員のように無害で個性を欠いた商品が並ぶ中で、燦然と輝くのが白虎刀である。僕はこの白虎刀を見た時、遠い昔に切り落としたおちんちんが突然生えてきたような郷愁と感動を覚えた。男子小学生にとって、この白虎刀こそが根性の証明であり、伸びるチン子と同じロマンが宿るのである。親の反対や実用性など女みたいな計算をしている奴は男の風上にも置けないチキン野郎である、みたいな雰囲気になって、買った白虎刀の本数がステータスに直結するのだ。修学旅行の小遣いを全て白虎刀に投下して、武功を立てた猛者もいたはずである。