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新潟発・小樽着のフェリーは朝の4時に小樽に到着した。港から最寄りの南小樽駅まで朝日を浴びながら歩いた。札幌には8時前くらいに到着したのだけれど、観光施設(テレビ塔とか時計台とか)は9時か10時営業開始なのでそれまでやることもないし、行くべき場所もない。ただ、大通公園とすすきのは時間帯に関係なく見て回れると思ったのでとりあえずそこに行くことにした。

 

札幌の道路は定規で線を引いてから作られたみたいに真っすぐで、直角に交わっている。道幅も広くて、地図を見れば自分がどこにいるかすぐにわかる。大通公園はまるで巨大な棺桶のように札幌の街に横たわっているのだけれど、それを横切ると街の風景が変わり始める。札幌駅と大通公園までのエリアはオフィスビルが立ち並んでいて、銀行とか投資信託の看板が目立ち、金融街という感じである。

 

それが大通公園の向こう側はまるで人間の欲望が直接的に噴き出しているように、アコムとプロミス、ホストとキャバ嬢の看板が誇らしげに掲げられていた。この日に北海道庁旧本庁舎に行って知ったのだけれど、すすきのは開拓史が入植した時に作った遊郭である。Wikipediaによると開拓者を札幌に繫ぎ止めることも意図していたようだ。ワイルドで直接的なアイデアである。おかずがない時のマヨネーズご飯みたいだ。今、人口流出が著しい離島や山間部に歓楽街を誘致したらどうなるのだろうか。ただでさえ高血圧のジジイが揺れるおっぱいを見て、心筋梗塞脳卒中で倒れてしまうかもしれない。

ただ、歌舞伎町で売れなくなったキャバ嬢を地域おこし協力隊として受け入れ、廃校になった空き校舎を無償で貸し出せば、少しはマシになるかもしれない。風紀が乱れるとかそういう反発があって実現しないだろうが、すすきのは開拓者を繋ぎ止めるためにできたらしい。よほどなりふり構っていられない状況だったのかもしれないし、開拓者は男だらけで最初から風紀もクソもないような状況だったのかもしれない。僕はすすきのにあるドン・キホーテで1斤70円の安い食パンを買って、それを齧りながら歩いた。営業終わりの、売れないホストもあるいはこの食パンをかじって飢えをしのいでいるのだろうか。

 

すすきの界隈のお寺、二ヶ所を巡った。朝のお経をあげていて僕はお参りした。若い和尚はまるで緻密な機械時計のように規律に沿った動きをするし、ベテランの和尚は滑らせるように柔らかい動きをしていた。体が規律的な動きに馴染んでいるみたいだ。中島敦が書いた名人伝のモチーフと似ているような気がした。下世話な話で恐縮だが、僕が行ったお寺は両方ともかなりの収入があるはずだ。なぜなら本堂に隣接した納骨堂(墓を建てる代わりになる)があり、法要や小規模な葬式を開ける施設もあったからだ。都市部に近く、商圏の質としても十分だ。ネットで調べたところによると、葬式の際のお布施は15−50万円だ。15万円だったとしても週に2度葬式に呼ばれれば月収120万、年収1400万円である。だいたい、1日に15万も稼げる仕事などどこにあるというのだろう。とても罰当たりな計算をしてしまったので、僕は死ぬまで念仏を唱えてもロクに成仏できないだろう。

 

その後で、北海道庁旧本庁舎に行った。明治時代に建てられた赤レンガの建物である。入場無料だった。その中に「樺太関係資料館」があった。司馬遼太郎が「清に勝って、ロシアにも勝ったけどその後でひどい負け方をした。大陸で起きたことを追えば日本の近代化がわかる」みたいな事を言っていたのだけれど、そんな感じだ。日露戦争に勝って、大富豪で一番強いカードから出していくみたいにして樺太に出ていくのだけれど、その後で返り討ちにあって酷いことになるストーリーの展示である。銃弾が貫通したヘルメット、飯盒、水筒を見て、戦争をやるとこうやって人が死ぬんだなと思って、しばらく立ち尽くしてしまった。このヘルメットは、本土にまるで幻の花のように可愛いフィアンセを残して死んだ男の物だったかもしれないし、飯盒は農家の6男で樺太に行く以外に食っていく方法がない人の物だったかもしれない。僕は三年前に犬のフンを食ってチフスになって死んだ弟の形見を、偶然部屋で見つけたような気持ちになった。

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なんとか樺太を脱出した後もまだ難しい状況は続く(無事に脱出するだけでもかなり困難なミッションなのだけれど)。この6畳二間に13人スシ詰の写真が象徴的である。家具や荷物を置かなくても一人当たり1畳のスペースしかない。そこで毎日生活するだけでも大変なはずである。あるいは現代人が甘えた生活をしているだけかもしれない。

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僕は最近恥ずかしい思いをした。俺は「年寄りは日本の経済が成長していた時に働けたんだから、羨ましいぜ!たっぷり貯金もあって、年金もらって、置き土産に金を残して死んでくれねぇかなぁ」と言った。そうしたら「でも今の年寄りだって、経済成長する前はとても苦労していたはずだし、彼らの奮闘があって今の日本があるんだよ。」とカウンターを喰らった。理学部に行っているやつで、思考の強さを感じた。金融機関では、(金融知識が薄かった)理系学部の卒業生が、経済学部の卒業生をごぼう抜きにしていくことがよくあるらしい。俺はこの時その意味がよくわかった。