沈まぬ太陽という小説がある。1985年にJALの飛行機が群馬県に墜落した時の話だ。「主翼の近くにあった遺体は特に損傷が激しく、黒焦げになって身元がわからない」「シートベルトに腹を千切られて、上半身と下半身が分離している遺体もあった」のような事故現場の描写が頭から離れず、僕はそれ以来飛行機に乗るのが怖くなってしまった。僕はまるで臆病な七面鳥のように度胸がない。だから常に怯えていて、警察官を見ただけで逮捕されるんじゃないかと怖くなり、汗が止まらなくなって脱水症状で気絶をしたことがあるし、家の外に出るときはアメリカ軍払い下げの防弾チョッキを着込んで万が一に備えている。そんな訳で、俺は新千歳空港着の飛行機を見上げながら新潟港発・小樽港着の新日本海フェリーに乗り込んだ。

 

新潟を昼の12時に出発して、翌日の朝5時に小樽に着く。フェリーの客室にもヒエラルキーが存在していて、庶民と同じ空気を吸いたくない散財主義的上流階級向けの客室は豪華なのだけれども、俺は最低料金の客室を選ばざるを得ない。寝台列車の客室とほとんど同じである。横になって眠れるだけのスペースとその脇に荷物を入れるロッカーがあった。出航の30分くらい前にフェリーに乗り込んで、船のデッキから新潟の街並みや越後山脈を眺めていた。頂上の近くにはまだ雪が残っていて、まるで塗装が剥げたドアノブのように見えた。

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船が防波堤の外に出て新潟市内の建物の影が次第に遠ざかり小さくなっていく。僕は地元を出発する時、握った紐がスルスルと巻き取られていくような寂しさを覚える。この時もそんな感じだった。

 

船の上では本当にすることがない。寝るか海を眺めるか、そのどちらかだった。本当は本を読もうと思って何冊か(蝉しぐれ資本論ヴェニスの商人、空気の研究、時が滲む朝、神様のカルテクライマーズ・ハイ、坑夫)Kindleに落としておいたのだけれど、船が揺れてそれどころではなかった。まるで船が殴られたようにグラグラと恐怖を感じるような揺れ方ではなくて、まるで不快感を覚えるハンモックのような揺れ方である。タラーン、タラーン、みたいな。具合が悪い時の目まいとか、立ちくらみのような状態がずっと続いて、気持ち悪かった。要するに船酔いである。だから大体の時間は寝て過ごしていて、あとは海を眺めていた。僕は海に沈む夕日をフェリーから見れるんじゃないかと期待していたのだけれど、それも叶わなかった。曇っていたからだ。日頃の行いが悪いせいだろうか。そういえば僕はフェリーの運賃を払うために母親の財布から、福田諭吉の肖像画が書いてある紙切れをそっと引き抜いたりした。今更になって胸に手を当てて十字架を切っても遅すぎるのだろうか。

 

ちなみに、フェリーに乗っている時は携帯の電波は通じない。ずっと圏外である。ただ例外があって、粟島沖を通過する時だけ電波が通じた。島のすぐ近くを通過するから電波を拾えたのである。僕はしめしめと思って、まるで財布を拾って喜ぶ小学生のようにtwitterを眺めていた。そして電波が繋がらなくなってふと顔を上げると、島を通り過ぎていた。まるでコンベアーで運ばれてくるゴミのようなに下らないツイートに夢中になってしまい、海に浮かぶ粟島を見過ごしてしまった。これはもったいないことをしたと思うのと同時に、今までネットに費やしてきた時間を読書に振っていれば、僕の脳みそも上等なものになっていたに違いないと思い、悲しい気持ちになった。