大漁を祈る

四月になった。

 

昨日、俺様は本を読もうと思って大学の図書館に行った。新入生(のように見える人間)が本を探していた。初めて来る場所だからなのか、好きな女の子に告白した二時間後とか、合格発表の直前みたいな表情をしていたから、きっと新入生だと思う。パズドラよりシステム英単語twitterより青チャート、みたいな真面目そうな男の子だった。

 

きっと本を探しに来たのだろう。しかし「女性司書の25.3%はまるで1000年に一度だけ咲く花のように美しい(野菜総合研究所)」というデータがあるので、助平心を満たすためにやってきなのかもしれない。あるいはただの方向音痴で、まるで舵を失った船のように迷い込んできただけかもしれないのだが。

 

大学の図書館は普通の公立図書館と違って、学問的な本がたくさんある。だから高校のお勉強とちょっと趣が違う、大学の学問への期待を抱いたかもしれない。

 

マジで彼が本を探しに図書館に来ていたとしたら、彼は大学の授業に絶望してしまうだろうと思った。大学の講義は本に書いてある事柄を教授が音読しているだけである。「読書量が多い学生がこの事実に気がついて、読書量が少ない学生はこれに気付かないで、講義の質の優劣にも関心がないし、学費の費用対効果を疑うこともない」という仮説がある。

 

ただ大学を中退するのは考えものである。厚生労働省か税務局だかのHPに高卒者と大卒者の平均給与の箱ひげ図が載っていた。高卒者の給料はまるでトンカチで叩かれたように低く、大卒者の給料はケツを押されて木に登ったデブのように高い。さらに、高卒者は40代以降の昇給がほとんどないのに対して、大卒者は給料が上がり続ける。

 

つまり大学を中退してしまうのは相当なリスクを伴うのだ。そもそも「リスク」とは下方に振れる可能性と引き換えに、上方に振れる可能性を手に入れる、みたいな意味である。平均年収という点において、高卒者は単純に不利なだけである。平均給与が下がるだけで終わってしまう。大学を辞めるのはリスクがある、というより大学を辞めたら稼ぎが少なくなる可能性が相当に高い、というだけである。

 

大学への投資はリターンが大きく、ボラティリティも小さいはずだ。だから日本学生支援機構は学位の割引現在価値、学位への投資のリターン、ボラティリティ、偏差値とリターンの相関とかを研究して、奨学金を営業すればもっと儲かるだろう。

 

これがマクロ的に見た場合の考えで。

 

 

大学に行かないで働いている友達が、ボロ雑巾のような服を着て、雨の日だけ体を洗い、競うようにカラスと生ゴミを喰らっている、ということもない。高卒者が人生のあらゆる局面において不利で、大学を卒業できればまるで動物園のパンダみたいに愛されるということでもないのである。そもそも世の中の人間の半分は大学に行っていないのだ。一部界隈ではセンチメンタルに大卒者を愛して、求めあっているみたいなのだけれど。

 

ある種の研究者がまるで山賊に村娘をさらわれたような口ぶりで高卒者の不幸を叫んでいるのだが、知り合いの高卒者を思い出してみるとまぁ楽しそうに暮らしている。

 

 

だいたいにおいて、(僕が社会を甘く見ているのかも知れないのだが)高卒だから金を稼げないとか、黒ギャル巨乳のセクシー美女と付き合えないとか、夕飯がソース・マヨネーズ丼だとかいうのは言い訳である。

 

 

戦艦大和が沈没した時、その乗組員のうち269名は生き延びたのである(269/3009だから生存率は8.9%)。翻って、相手を椅子に縛り付けて戦うボクサーのように有利たったアメリカ軍の戦闘機は戦艦大和に3機撃墜されたそうだ。

 

 

俺もちょっと状況が厳しいなと思うことがある。そういう時俺は、船が沈んでも生き残る者が存在する、という事実を思い出すようにしている。