妬み

この広い宇宙の中で俺様よりも輝いている存在がひとつだけあって、それは太陽である。そろそろ四月も終わる頃合いで、その太陽はまるで「春になったんだよ」と冬眠中のリスに語りかけるような光を発している。


俺は生粋のパリピだ。冬よりも春、春よりも夏に本領を発揮する。正直、夏と聞いて、あるいは海と、海に調和する黒ギャル巨乳を想像して胸が踊らない奴は心がおじさんなので、年金の支給額を計算しながらカップ酒を飲んでいればよろしい。


毎年、GWになる頃になると段々胸が騒ぎ立って、今年は何をしようかと考えてしまう。去年までの夏休みの反省とやり残した事への後悔を全力で回収した方がいい。人生が終わる前に人生をしゃぶり尽くしてしまいたいという気持ちがある。


俺は去年の夏休みに免許を取りに行った。そもそも、大学を辞めると(というか学生じゃなくなると)「夏休み」という概念を失わざるを得ないんだなと気がついた。これについてみなさんはどう思いますか。歳を取るたびに、時の流れの不可逆生を強く感じるようになって、昔はあったけど今は無いもの(例えば夏休み)への未練だけが残っている。

 


昔好きだった女の子は永遠に可愛い。

 


免許の教習所では有線でJ-POPが流れていた。ある有名な小説家が「J-POPを聞くと脳が腐るので絶対に聞かない」と言っていた。確かに最近のJ-POPは量産型というか「大量生産して、消費される音楽」と言えなくもない。それでも中には高級な楽曲もある。有線やラジオで大量に曲を聴いても何故か頭から離れないのである。それが米津玄師のアイネクライネだった。まるで森三中石原さとみが混ざっているようにアイネクライネだけが印象に残った。それが米津玄師の曲を初めて聴いた時のお話で。


米津玄師は高校生の時からボカロで名を挙げていたらしい。早熟とも言えるはずだけれど、モーツァルトとかベートーベンも10代の頃からまるで地下迷路のように綿密な曲を作っていた。だから満足に才能がある天才は若くして大成できるんだなと思った。天才はいいなぁ。才能があるというのは、スーパーカブにジェット燃料をブチ込むようなブースト作用がある。才能があるだけで人生にイージーモードでログインできる。


ただ富士山は遠くから眺めた方が綺麗だし、神話を精査すると支離滅裂で漫才かよと思ってしまうし、天才も遠くから見つめれば、羨望の対象なのだけれど、天才が故の苦しみもあるんだなと思うことがある。


例えば米津玄師が書いたブログや歌詞はどうだろう。この文章・歌詞を精製するに至るまでにどれだけの困難があったのだろうかと思った。米津玄師の歌詞には力強さとか優しさ(抽象的で精神論的な表現しかできなくてごめんね)がある。でもそういうのを手に入れる過程で米津玄師様は、辛い思いとか苦しさとか生きづらさを経験したのが透けて見えた時、僕は深い傷を負ったライオンがパッと頭に浮かんだ。