大阪なう

 

 

中学の修学旅行は1日目が移動とUSJ、2日目が班別自主研修(俺は清水寺銀閣寺に行った)、3日目にクラス全員で東大寺伏見稲荷大社に行ってから帰郷、だったのだけれどそれが人生で初めての上阪だった。

思い出は色々あって、夜に女子の部屋を覗きに行こうとしたら、教師にパクられて煮えたぎるような怒りを受けたこと、USJのジェットコースターで恐怖のあまり思わず失禁したこと、舞妓さんに後ろから抱きついたら突如黒服が現れて…………(以下手が震えてキーボードを打てない)とか色々あった。それから新大阪駅で女の子に告白した奴もいた。帰りの新幹線を待っている時に、駅のホームで「俺の彼女になってくんない?」って堂々と愛を叫んでいた。僕は目の前に裸の人間が現れたような気持ちになったのだが、結局そいつらは2週間で別れた。僕はやれやれとため息をついて、新しいスニーカーを買った。彼女は長い髪を切った。


2回目の上阪は高校の修学旅行の時である。その時はUSJ海遊館に行かされた。自分の意思ではなく修学旅行のプログラムに組み込まれていたので、僕たちはまるで自らの運命に従順な踊り子のようにUSJ海遊館に向かった。


僕はUSJのような資本主義的な商業施設は、箱庭の中で「ほら金を出せよ」と言っているようで気に入らない。顔はまるで絶海の孤島から見上げる星空のように綺麗なのに、性格がまるで地獄の番人のようにわがままな女みたいだ。


申し訳ないのだけれど、海遊館などは怒りを抱くほどに詰まらない無用の施設だった。ある一定の水準を超えて詰まらないものには、必然的に怒りを抱く。だいたい、魚を見たければスーパーの魚売り場か豊洲市場に行けば良いのだ。(死んだ)魚を無料で好きなだけ見ることができる。僕は鮭とサバを見分けられないくらい、魚に関する知識がないので、全ての魚が同種に見えてしまう。


3回目の上阪は2018年の夏だった。この時の思い出は、内緒。秘すれば花、秘密は恋の落とし穴、🎵言いたいことは何もないさ、さよならだけが僕らの愛さ。


で、4回目の上阪が昨日(2019/04/24)だった。高速バスの乗り換えをしただけなのだけれど。梅田駅バスターミナルから梅田スカイビルまで歩いた。


僕はいつも疑問に思うのだけれど、どうして梅田駅と大阪駅は合体しないのだろう。ただただ不便である。まるで仮面夫婦が別居しているようだ。ユダヤ教キリスト教イスラム教に分離したように、梅田駅と大阪駅は初めは一つだったのだろうか。僕のような電車代を米俵で支払う田舎者は、人を吸い込むように大きな駅が2つも並んでいるという事実に驚いて、目の前の駅員を殴った。(失礼)


しかし正直、大阪だろうが名古屋だろうが東京だろうが、駅前の風景はほとんど同じである。もちろん地元の人が見れば、その土地に固有のアイデンティティ(みたいなもの)を感じるかもしれないのだけれど、旅行者からすると違いは感じられない。どの都市の駅前でも商業施設とオフィスが立ち並んで、アコムが俺を誘惑して、チンピラが俺を睨む。金太郎飴のようにどこを切り取っても同じ、と言うと極端すぎるのだけれど大阪と東京の違いは、寿司と刺身の違いと同じくらいなんじゃないかな。


それでも僕は大阪の雑多で、洗練を拒むような街の雰囲気と、浪速の人々のまるでツタが這うような連帯感を感じた時、ここには終わらない日常と愛があるんだなと思った。