今日だけは雨を降らせてくれ

高校の授業といえば、NHK教育放送の中でも一番間の抜けた番組より面白くないことでお馴染みである。だから俺は授業中の暇つぶしとして本を読むようになった。それまでは本など読まない人生で「お部屋にこもって本を読むような奴はまるで服を脱がないグラビアアイドルのようだ」と思っていた。高校に入ると、修行か拷問のように退屈な授業よりも本(特に小説)の方が面白いと気がついて、僕はしっかり読書をするようになった。

 

ただ、正直なところ僕の読書量はかなり不足しているという印象で、能力が高い方達はもっとたくさん読んでいると思っている。だから今年の目標はアイドルの写真集に穴が空くまで読み込もうと思う。

 

 僕の高校はごく簡潔に表現すると自称進学校である。課題の提出が遅れた者から延滞料金を徴収して、その金でまた新しい教材を買ってくるという恐ろしいシステムがあって、毎晩僕はまぶたにキンカンを塗りながら勉強したものである。

 

当然合格体験記も配られる。先生に盲従して勉強に励めば、試験中に先生が憑依してきて合格できるとか、勉強をやりすぎて疲労骨折してしまったが、痛み止めを飲んで勉強を続けたとか、そういうことが書いてあった。

 

太閤記を読み終わった。豊臣秀吉が天下人になるまでのシンデレレラストーリーである。ちょっと人生の合格体験記みたいなところがあるような気がしないでもない。

 

秀吉と他の武将を対比しながら読んでみると彼が天下人になれた理由、あるいは他の武将(柴田勝家明智光秀織田信長)が天下統一できなかった理由がわかると思う。

 

それから司馬遼太郎の小説を読むと往往にして似たような気持ちを抱く。

 

人生の結末は各々の才能に依存する、よって 人生がハードモードになるかイージーモードになるかは生まれつきほとんど決まっている。

 

才能・能力があれば、不遇の時代が続くかもしれないにせよ、いつかは相応のポジションに収まっていく。

ぶっちゃけ「年収1000万のビジネスマンは毎朝母親のケツにキスをする」とか「起業するなら札束の枕で眠りなさい」みたいなビジネス書よりも司馬遼太郎歴史小説の方が勉強になる。

 

同じ時期に読んだのが村上龍のオールドテロリストである。老人が衰退し続ける日本に怒りを抱き、テロを起こすというストーリーだった。この小説には現代の上流階級が登場する。例えば高級官僚とか、金が余って仕方がないので止むを得ず月に行くことにしたとかである。そういう人たちの実際の生活が垣間見て、まるで翼を失った飛行機のように金欠の僕は、人生の理不尽さに打ちひしがれて、川へ入水して楽になってしまおうかと思った。

正直なところ、半島を出よとか愛と幻想のファシズムの方がストーリーの綿密さとかリアリティーという点で面白いような気がしている。

 

2ヶ月くらい前に読んだ本なのでちょっと感想をよく思い出せない。ただ優秀な人たちは本をたくさん読んでいて、それぞれの本を自分の視点で解釈していることは事実である。

 

俺様も脳みそ(というか思考能力)を鍛えるためにいっぱい勉強しようと思った。しかし勉強しようと思うだけでは、まるで声を失ったボーカルみたいで意味がない。しっかり勉強の徳を積まなければ、僕は空っぽのタンカーみたいな存在になってしまうだろう。