皐月

5月

 

多分この頃はまだ大学を卒業しようという意思を持っていた。大学そ卒業するためには124単位を回収すればいい。テストはヌルゲーだと聞いていたので、単位を回収するためには授業に出席しなくてはいけない。

 

単位を出す条件に、授業への出席が含まれてる意味が本当にわからない。実際、授業に出席していても授業を聞いていない奴はたくさんいた。だいたいにおいて、授業に出席していながら授業を聞かないというのは、穴の開いたコンドームを着けてセックスをするようなものである。話を聞いていない、という点では等しいのに講義室に居る/居ないの違いだけで、単位が出る/出ないという死活的な問題に飛躍するのである。なんという不合理だろう。このような不合理に違和感を抱かない者は、水素水を買わされないように気をつけたほうがいい。そもそも、水素が欲しいのなら、水素分子の含有量が多そうな濃厚な小便を飲めばいいと思う。

 

余談なのだけれど、これは高校の時も同じだった。高校の場合、授業時数の1/3以上欠席すると原級留年を食らってしまうので、俺はしっかりと欠席字数をトラッキングしながら学校をサボっていた。サボって何をしていたのかというと、サッカーとか高校野球を見に行ったり、海で潮風を浴びたり、図書館で本を読んだりしていた。似たような経験がある人はわかると思うのだけれど、学校をサボって違うことをしている時の快感は筆舌に尽くしがたい。ザワザワと血が騒ぎ野生が芽生えるのである。正直なところ、学校を辞める最大のデメリットは学校をサボる時の快感を味わえなくなってしまう、ということだと私は思う。

 

 

とにかく授業に出席してさえいれば何をしてもいいのだと自分に言い聞かせて、なるべく休まないようにしていた。授業中は本を読んだり、映画を見たりしていた。教授の話し声がうるさいので、俺はイヤホンをつけて美しいクラシック音楽に耳をすませていた。俺が好きな作曲家はベートーベン、ショパン、バッハ、チャイコフスキである。好きなピアニストはグレン・グールドマウリツィオ・ポリーニクラウディオ・アラウバックハウスアルフレッド・ブレンデルである。彼らの音楽だけが僕の苛立ちとストレスを和らげてくれた。

 

 

ちなみに、授業がどんなに退屈でもツムツム、テトリス、将棋、大富豪などを含めてスマホゲームを俺は絶対にやらない。TwitterYouTubeも有害であると言わざるを得ない。中毒性があって脳みそを腐らせる。本能、野生、行動力などのエネルギーが奪われてしまうような気がするからだ。

 

5月が終わるまでは我慢してなんとか大学に通っていた。しかし、授業の退屈さは増すばかりで、入学したからには卒業しなくてはいけないだろうという義務感に縛られながら、退屈な講義室から逃げ出したいという気持ちの間に押し込まれていた。大学を辞めてしまいたいけれど、その後のキャリアを見通せず、どうすればいいのかわからなかった。しかし、大学のほうは「君の居場所はここにはないんだよ」と言って僕に手を振っているように見えた。