読書感想文 文系大学教育は仕事の役に立つのか

 

 

 

 僕は重要なことに気がつきました。2000字前後の論理的で、それなりに抽象水準が高い文章を書けないとfallしてしまうということです。なんとかして文章能力を底上げしなければいけない。しかし三島由紀夫の悪魔を天使に転向させるくらい美しいと言われる文章で書かれた「金閣寺」をミキサーにかけて飲み干しても文章能力は向上しません。脳味噌に電極をぶち込んでなんとかする、というような荒治療も存在しません。トレーニングとして、文章を書きまくるしかないようです。

 

 例えばノートに日記をつける、みたいなことをしてもいいのですが、ブログとして公開することで「あわよくばアファリエイトで小遣を貰えるかもしれない」とインセンティブが働きます。

 

 

文系大学教育は仕事の役に立つのか edited by 本田由紀

 

 俺はこの手の本を気に入っている。大人の皆さんが今の大学生をどう見ているかわかるからだ。たまに「最近の学生はバカになった。小便と焼酎の違いが分からない奴がいたり、講義室に麻雀の卓が置いてあるらしい」「就職難の影響で、最近の大学生は資格を取ろうとする。マグロ解体師エキスパート検定や千葉ロッテマリーンズ・ファン検定など難しい資格試験にも積極的に挑戦するそうだ」みたいに勘違いしている大人もいる。しかし現代の若者を正確に理解して行動を分析している本も多い。例えば小説だと「桐島部活やめるってよ」だったりする。

 

 このタイトルから本の内容を予測できる。昨今の文系学部部(特に文学部)を軽視する動きに対する説教か、あるいは、過去を賛美する以外に能が無い老害おじさんの大学批判だと思った。

 

しかし違った。

 

文系学部を卒業した社会人に「大学で学んだことは役に立ちましたか?」などのアンケート調査を実施して、その結果を分析した本だった。

 

将来的な便益が明確だったり、授業内容が実生活に結びついたり、双方向的な授業は役に立つらしい。

 

結局のところ大学で何を学ぶか、よりも大学でどう学ぶか、が重要なんだなと思った。デカい講堂でビットコインの儲け方を教えられるより、ディベートをしながら「現代エジプトにおける文法改革」の勉強をした方が将来的には役に立つかもしれない。

 

知識詰め込み型・記憶力テストでもなくGoogle先生の活用力テストでもなく、正確で深い思考能力を獲得するための脳トレが勉強という行為の営みだ。

 

 

この本を読むと学問的な研究が何なのかわかってくる。

 

まず仮説を立てる。そうしたらその仮説を検証するためにデータを集めたり調査をする。その後にデータや調査に基づいて仮説が正しいか判断・考察する。

 

一つ例を示そう。

 

僕はナナミちゃんが大好きだ。五月のタンポポみたいに可愛い。真夏の太陽みたいに輝いているから目があっただけで僕は赤くなってしまう。

 

当然の結果としてナナミちゃんは僕のことをどう思っているんだろう?と気になってしまう。そこで「ナナミちゃんは僕(美少年)のことが好きである」と仮説を立てた。

 

この仮説を確かめる方法を考えよう。いきなり告白してしまうのは宣戦布告をする前に原爆を投下するようなもので恋愛の醍醐味を味わえない。

 

僕はナナミちゃんにLINEを聞きに行った。天使のように優しい彼女は僕にLINEを教えてくれた。僕はナナミちゃんに43536通のメッセージを送り、平均で12.3分(標準偏差7分・中央値10分)以内に返信が返ってきて既読無視されたメッセージは4.3パーセントだった。

 

この時僕の仮説は正しい、つまり僕とナナミちゃんは両思いだと判断して「俺様に人生託してついて来いよ」って告白した。まぁ俺が振られるなんてあり得ない。

 

このような仮説を立てる、その仮説を正しいか確かめる、という行為は日常生活にも溢れていて、これを実行する時に恣意的な判断、思い込み、希望的観測を抱いてはいけないのだ。正確な思考と冷静な分析が僕に成功を運んできてくれるだろう。