大阪観光〜1日で大阪を堪能したい君たちへ〜

そういえば、修学旅行の班別自主研修の計画を立てた時は、大阪市の電話帳を取り寄せて片端から電話をかけてオススメの場所を聞きまくった。というのは嘘なのだけれども、どこに行くべきか事前に調べておかないと、旅行から帰ってきた後で「ここにも行っておけばよかったのに惜しいことをしたなぁ」とまるでハズレ馬券を眺めるような気持ちになってしまう。

 

僕がリサーチに使ったのは、るるぶ、マップル、マニマニ、ことリップである。図書館に行けば無料で読めるし、複数の旅行本を比較できるのでうれしい。ちなみに、るるぶとマップルはミーハーで若い女の子が好きそうな場所を多くピックアップしているイメージ。神社とか美術館とか己の美学を磨くためのスポットを目指したい諸君はマニマニ、ことリップを参照されたい。どちらもマイナーであることは否めないのだけれど、素材を活かす上質なスパイスのような趣のガイドブックである。

 

一通りガイドブックを読んで、行きたいと思った場所をリストアップした後で、グールマップを印刷して、地図にリストアップした場所とその営業時間を書きこむ。そうすると、どういう順番で巡ればいいかすぐにわかるし、旅先でいちいちスマホを調べる手間も省ける。ネットの口コミサイトは情報が多すぎて、結局どこに行けばいいのかわからなくなってしまいがちだし、構造上デタラメな情報も存在する可能性があるので信用しないようにしている。例えば清水寺の口コミを想像だけで「修学旅行中のJKに見とれていたら清水の舞台から落ちてしまいました」「産寧坂のお土産屋さんに清楚で色っぽいお姉さんがいました。嬉しくなって声をかけたら頰を張られたのですが、これはこれでご褒美だと思いました」と書きこむことは可能である。

 

 

で、俺は中之島図書館→大阪市中央公会堂国立国際美術館万博記念公園→EXPO 70パビリオン→国立民族博物館→伊丹空港→阪急グランドビル→大阪ステーションシティ→ネットカフェでお泊まりという道を歩いた。ちなみに、万博記念公園より後ろは事前に計画していない、アドリブである。

 

中之島図書館

 

日本で最も有名な図書館の1つだと思う。オフィス街の真ん中にあるからなのか、ビジネスマン向けの本(社会科学系、経営学会計学とか)の本が多い。小説やエッセイは少なかった。現代建築は無駄なものを徹底的に排除した、直線的なものが多いけど、中之島図書館は近代建築なので、まるで金ぐしを差し込んだヘアアレンジのようにゴージャスな建物だった。建物の中はじんわり時間が流れていくような雰囲気で、外の商業的な慌ただしさを隔絶しているようだった。

 

大阪市中央公会堂

 

明治時代の金持ち(確か、今でいうIPOで一儲けした人)が社会貢献事業として出資してできた建物である。この時期の金持ちは行政の事業に寄付をしている人が多いイメージがある。それから、これも近代建築である。近代建築にも系統があって、ちゃんと識別できるようになりたいとは思うのだけれど、それよりも先に僕はAKB48の全メンバーの顔を覚えたいのでそっちを優先している

 

 

国立国際美術館

 

お前が絵を見つめる時、お前もまた絵に見つめられているのだ、とフランス人のアントワーヌ・セドゥが言っていた、というのは嘘である。抽象芸術の特設展を開催していた。俺が絵の良し悪しを決めるときの基準は「ココロが動いたかどうか」「画家のタマシイを感じられるか」「アタラシイ自分に出会えたかどうか」みたいな、自意識追求型・能天気的意識高い系とは一線を画している。ただ「自分の部屋に飾りたいと思うか、思わないか」である。ちなみに、僕はピカソの破壊的な絵を見たとき、激しい衝動にインスパイアされてどういうわけかその絵に己の鼻くそを塗り付けたくなったが、善良な日本国民として風紀をみだす行動は控えた。部屋に飾る時は落ち着いたシンプルな絵がいいな。

 

僕は中学生の時、どうも絵が上手く描けなくて、息子の弁当に手作りの卵焼きを入れないと気が済まない頑固な教師に注意されたことがある。丁寧さが足りないとか、絵の具の水分が多いとか、もっと奥行きを出せとかである。そういうのが面倒くさくて美術などは犬の糞を踏んだスニーカーのような扱いをしていたのだけれど、最近になって絵を見るのが面白いと思うようになった。だいたい、美術館に行けばすぐにわかることなのだけれど、絵を描く、ということに関してルールや正解など一切ない。何でもありでワイルドな荒野のように開拓する自由があるのだ。例えば、茶色の絵の具の代わりに自分のクソをキャンパスに塗りつけても「これが巨匠のイマジネーションである」と言われるかもしれない。俺様が書いた絵にチャチャを入れたベテラン・クレーマーのような教師は、美術館に飾ってある抽象芸術や、あるいはピカソジョアン・ミロの絵を見た時「まずは丁寧にデッサンをしなさい」「まっすぐ線を引きなさい。震える手で筆を持ったの?脳卒中かしら」と呟くだろうか。あまり有名ではないピカソの絵をその教師に提出したら、通知表の成績はどうなるのだろうか。中学時代の美術の授業を思い出していると、その時の雰囲気が思い出されて、昔は毎日一緒に遊んでいた友達のLINEもどこに住んでいるかも知らない。中学の卒業式は5年前の話なのだけれど、どれだけ背丈が変わろうとも変わらない何かがありますように、と。

怠惰

f:id:yayayatototo:20190523100627j:image

 

最後の家族  written by Ryu Murakami 

 


会社の業績が傾いて給料が下がりリストラの可能性もある父親、専業主婦の母親、引きこもりの兄(21)、JKの妹という家族の話。

 


父親の年収が400万まで下がって、貯金は減り続ける。その上住宅ローンの返済と妹の大学進学にも金が必要で、家計はまるで押しつぶされたように逼迫していて胸が痛んだ。

 


日本はゆっくりと衰退しているから(高度経済成長期とは違い)所得の大幅な上昇は望めない。

 


 


賃金は上がらないし、大企業でさえも倒産やリストラの可能性もある。よって「いい学校→いい会社=いい人生」みたいなライフプラン(30年前はこれが通用したのか知らないけど)が崩壊した。

 


 


しかし、日本全体がそれに変わるライフプランを示せていないから、個人は露頭に迷う。

 


 


自分で決めたことをやるようにすれば幸せになれるんじゃないかという救いを持たせてこの小説は終わった。

 


華麗なる一族 (上巻)

written by Toyoko Yamasaki 

 


銀行と鉄鋼業を経営する一族の話。「最後の家族」はヒラ社員・庶民の貧乏が故の苦悩だったけれど、こちらは上級階級が故の苦悩があった。閨閥の維持、発展のために親が結婚の相手を決めるとか、ライバルの銀行との競り合いで疲弊したり、頭取に経営の才能がないと会社が傾いてしまう。

 


大阪万博開催予定地の土地買収費用が吹田近辺の農家に振り込まれる!それを預金してもらおう!大作戦に高度経済成長期の勢いと泥臭さを感じ、年功序列、終身雇用、家長制度、企業戦士、お見合い結婚など、前世代的な不文律が通奏低音のように響いていた(ように感じる)。

 


クライマーズ・ハイ

 


御巣鷹山事故を報道した北関東新聞社の話。後半にかけてお涙頂戴になってくるから前半だけ読めばこの本の醍醐味が味わえるはずだ。新聞社内の政治的取引を垣間見れる。社内の右派と左派で揉めて、紙面構成を巡る怒鳴り合い、原稿の締め切り、重要人物にまとわりつくように張り付いての取材、取材についての命令を聞かず、我流で取材しようとする部下、そういうのが全て企業で働く煩わしさを象徴している気がした。

 

 

 

 

 

 

400

f:id:yayayatototo:20190518184141j:image

 

新潟発・小樽着のフェリーは朝の4時に小樽に到着した。港から最寄りの南小樽駅まで朝日を浴びながら歩いた。札幌には8時前くらいに到着したのだけれど、観光施設(テレビ塔とか時計台とか)は9時か10時営業開始なのでそれまでやることもないし、行くべき場所もない。ただ、大通公園とすすきのは時間帯に関係なく見て回れると思ったのでとりあえずそこに行くことにした。

 

札幌の道路は定規で線を引いてから作られたみたいに真っすぐで、直角に交わっている。道幅も広くて、地図を見れば自分がどこにいるかすぐにわかる。大通公園はまるで巨大な棺桶のように札幌の街に横たわっているのだけれど、それを横切ると街の風景が変わり始める。札幌駅と大通公園までのエリアはオフィスビルが立ち並んでいて、銀行とか投資信託の看板が目立ち、金融街という感じである。

 

それが大通公園の向こう側はまるで人間の欲望が直接的に噴き出しているように、アコムとプロミス、ホストとキャバ嬢の看板が誇らしげに掲げられていた。この日に北海道庁旧本庁舎に行って知ったのだけれど、すすきのは開拓史が入植した時に作った遊郭である。Wikipediaによると開拓者を札幌に繫ぎ止めることも意図していたようだ。ワイルドで直接的なアイデアである。おかずがない時のマヨネーズご飯みたいだ。今、人口流出が著しい離島や山間部に歓楽街を誘致したらどうなるのだろうか。ただでさえ高血圧のジジイが揺れるおっぱいを見て、心筋梗塞脳卒中で倒れてしまうかもしれない。

ただ、歌舞伎町で売れなくなったキャバ嬢を地域おこし協力隊として受け入れ、廃校になった空き校舎を無償で貸し出せば、少しはマシになるかもしれない。風紀が乱れるとかそういう反発があって実現しないだろうが、すすきのは開拓者を繋ぎ止めるためにできたらしい。よほどなりふり構っていられない状況だったのかもしれないし、開拓者は男だらけで最初から風紀もクソもないような状況だったのかもしれない。僕はすすきのにあるドン・キホーテで1斤70円の安い食パンを買って、それを齧りながら歩いた。営業終わりの、売れないホストもあるいはこの食パンをかじって飢えをしのいでいるのだろうか。

 

すすきの界隈のお寺、二ヶ所を巡った。朝のお経をあげていて僕はお参りした。若い和尚はまるで緻密な機械時計のように規律に沿った動きをするし、ベテランの和尚は滑らせるように柔らかい動きをしていた。体が規律的な動きに馴染んでいるみたいだ。中島敦が書いた名人伝のモチーフと似ているような気がした。下世話な話で恐縮だが、僕が行ったお寺は両方ともかなりの収入があるはずだ。なぜなら本堂に隣接した納骨堂(墓を建てる代わりになる)があり、法要や小規模な葬式を開ける施設もあったからだ。都市部に近く、商圏の質としても十分だ。ネットで調べたところによると、葬式の際のお布施は15−50万円だ。15万円だったとしても週に2度葬式に呼ばれれば月収120万、年収1400万円である。だいたい、1日に15万も稼げる仕事などどこにあるというのだろう。とても罰当たりな計算をしてしまったので、僕は死ぬまで念仏を唱えてもロクに成仏できないだろう。

 

その後で、北海道庁旧本庁舎に行った。明治時代に建てられた赤レンガの建物である。入場無料だった。その中に「樺太関係資料館」があった。司馬遼太郎が「清に勝って、ロシアにも勝ったけどその後でひどい負け方をした。大陸で起きたことを追えば日本の近代化がわかる」みたいな事を言っていたのだけれど、そんな感じだ。日露戦争に勝って、大富豪で一番強いカードから出していくみたいにして樺太に出ていくのだけれど、その後で返り討ちにあって酷いことになるストーリーの展示である。銃弾が貫通したヘルメット、飯盒、水筒を見て、戦争をやるとこうやって人が死ぬんだなと思って、しばらく立ち尽くしてしまった。このヘルメットは、本土にまるで幻の花のように可愛いフィアンセを残して死んだ男の物だったかもしれないし、飯盒は農家の6男で樺太に行く以外に食っていく方法がない人の物だったかもしれない。僕は三年前に犬のフンを食ってチフスになって死んだ弟の形見を、偶然部屋で見つけたような気持ちになった。

f:id:yayayatototo:20190518183951j:image

なんとか樺太を脱出した後もまだ難しい状況は続く(無事に脱出するだけでもかなり困難なミッションなのだけれど)。この6畳二間に13人スシ詰の写真が象徴的である。家具や荷物を置かなくても一人当たり1畳のスペースしかない。そこで毎日生活するだけでも大変なはずである。あるいは現代人が甘えた生活をしているだけかもしれない。

f:id:yayayatototo:20190518184027j:image

 

僕は最近恥ずかしい思いをした。俺は「年寄りは日本の経済が成長していた時に働けたんだから、羨ましいぜ!たっぷり貯金もあって、年金もらって、置き土産に金を残して死んでくれねぇかなぁ」と言った。そうしたら「でも今の年寄りだって、経済成長する前はとても苦労していたはずだし、彼らの奮闘があって今の日本があるんだよ。」とカウンターを喰らった。理学部に行っているやつで、思考の強さを感じた。金融機関では、(金融知識が薄かった)理系学部の卒業生が、経済学部の卒業生をごぼう抜きにしていくことがよくあるらしい。俺はこの時その意味がよくわかった。

沈まぬ太陽という小説がある。1985年にJALの飛行機が群馬県に墜落した時の話だ。「主翼の近くにあった遺体は特に損傷が激しく、黒焦げになって身元がわからない」「シートベルトに腹を千切られて、上半身と下半身が分離している遺体もあった」のような事故現場の描写が頭から離れず、僕はそれ以来飛行機に乗るのが怖くなってしまった。僕はまるで臆病な七面鳥のように度胸がない。だから常に怯えていて、警察官を見ただけで逮捕されるんじゃないかと怖くなり、汗が止まらなくなって脱水症状で気絶をしたことがあるし、家の外に出るときはアメリカ軍払い下げの防弾チョッキを着込んで万が一に備えている。そんな訳で、俺は新千歳空港着の飛行機を見上げながら新潟港発・小樽港着の新日本海フェリーに乗り込んだ。

 

新潟を昼の12時に出発して、翌日の朝5時に小樽に着く。フェリーの客室にもヒエラルキーが存在していて、庶民と同じ空気を吸いたくない散財主義的上流階級向けの客室は豪華なのだけれども、俺は最低料金の客室を選ばざるを得ない。寝台列車の客室とほとんど同じである。横になって眠れるだけのスペースとその脇に荷物を入れるロッカーがあった。出航の30分くらい前にフェリーに乗り込んで、船のデッキから新潟の街並みや越後山脈を眺めていた。頂上の近くにはまだ雪が残っていて、まるで塗装が剥げたドアノブのように見えた。

f:id:yayayatototo:20190516182458j:plain



船が防波堤の外に出て新潟市内の建物の影が次第に遠ざかり小さくなっていく。僕は地元を出発する時、握った紐がスルスルと巻き取られていくような寂しさを覚える。この時もそんな感じだった。

 

船の上では本当にすることがない。寝るか海を眺めるか、そのどちらかだった。本当は本を読もうと思って何冊か(蝉しぐれ資本論ヴェニスの商人、空気の研究、時が滲む朝、神様のカルテクライマーズ・ハイ、坑夫)Kindleに落としておいたのだけれど、船が揺れてそれどころではなかった。まるで船が殴られたようにグラグラと恐怖を感じるような揺れ方ではなくて、まるで不快感を覚えるハンモックのような揺れ方である。タラーン、タラーン、みたいな。具合が悪い時の目まいとか、立ちくらみのような状態がずっと続いて、気持ち悪かった。要するに船酔いである。だから大体の時間は寝て過ごしていて、あとは海を眺めていた。僕は海に沈む夕日をフェリーから見れるんじゃないかと期待していたのだけれど、それも叶わなかった。曇っていたからだ。日頃の行いが悪いせいだろうか。そういえば僕はフェリーの運賃を払うために母親の財布から、福田諭吉の肖像画が書いてある紙切れをそっと引き抜いたりした。今更になって胸に手を当てて十字架を切っても遅すぎるのだろうか。

 

ちなみに、フェリーに乗っている時は携帯の電波は通じない。ずっと圏外である。ただ例外があって、粟島沖を通過する時だけ電波が通じた。島のすぐ近くを通過するから電波を拾えたのである。僕はしめしめと思って、まるで財布を拾って喜ぶ小学生のようにtwitterを眺めていた。そして電波が繋がらなくなってふと顔を上げると、島を通り過ぎていた。まるでコンベアーで運ばれてくるゴミのようなに下らないツイートに夢中になってしまい、海に浮かぶ粟島を見過ごしてしまった。これはもったいないことをしたと思うのと同時に、今までネットに費やしてきた時間を読書に振っていれば、僕の脳みそも上等なものになっていたに違いないと思い、悲しい気持ちになった。

 

大阪なう

 

 

中学の修学旅行は1日目が移動とUSJ、2日目が班別自主研修(俺は清水寺銀閣寺に行った)、3日目にクラス全員で東大寺伏見稲荷大社に行ってから帰郷、だったのだけれどそれが人生で初めての上阪だった。

思い出は色々あって、夜に女子の部屋を覗きに行こうとしたら、教師にパクられて煮えたぎるような怒りを受けたこと、USJのジェットコースターで恐怖のあまり思わず失禁したこと、舞妓さんに後ろから抱きついたら突如黒服が現れて…………(以下手が震えてキーボードを打てない)とか色々あった。それから新大阪駅で女の子に告白した奴もいた。帰りの新幹線を待っている時に、駅のホームで「俺の彼女になってくんない?」って堂々と愛を叫んでいた。僕は目の前に裸の人間が現れたような気持ちになったのだが、結局そいつらは2週間で別れた。僕はやれやれとため息をついて、新しいスニーカーを買った。彼女は長い髪を切った。


2回目の上阪は高校の修学旅行の時である。その時はUSJ海遊館に行かされた。自分の意思ではなく修学旅行のプログラムに組み込まれていたので、僕たちはまるで自らの運命に従順な踊り子のようにUSJ海遊館に向かった。


僕はUSJのような資本主義的な商業施設は、箱庭の中で「ほら金を出せよ」と言っているようで気に入らない。顔はまるで絶海の孤島から見上げる星空のように綺麗なのに、性格がまるで地獄の番人のようにわがままな女みたいだ。


申し訳ないのだけれど、海遊館などは怒りを抱くほどに詰まらない無用の施設だった。ある一定の水準を超えて詰まらないものには、必然的に怒りを抱く。だいたい、魚を見たければスーパーの魚売り場か豊洲市場に行けば良いのだ。(死んだ)魚を無料で好きなだけ見ることができる。僕は鮭とサバを見分けられないくらい、魚に関する知識がないので、全ての魚が同種に見えてしまう。


3回目の上阪は2018年の夏だった。この時の思い出は、内緒。秘すれば花、秘密は恋の落とし穴、🎵言いたいことは何もないさ、さよならだけが僕らの愛さ。


で、4回目の上阪が昨日(2019/04/24)だった。高速バスの乗り換えをしただけなのだけれど。梅田駅バスターミナルから梅田スカイビルまで歩いた。


僕はいつも疑問に思うのだけれど、どうして梅田駅と大阪駅は合体しないのだろう。ただただ不便である。まるで仮面夫婦が別居しているようだ。ユダヤ教キリスト教イスラム教に分離したように、梅田駅と大阪駅は初めは一つだったのだろうか。僕のような電車代を米俵で支払う田舎者は、人を吸い込むように大きな駅が2つも並んでいるという事実に驚いて、目の前の駅員を殴った。(失礼)


しかし正直、大阪だろうが名古屋だろうが東京だろうが、駅前の風景はほとんど同じである。もちろん地元の人が見れば、その土地に固有のアイデンティティ(みたいなもの)を感じるかもしれないのだけれど、旅行者からすると違いは感じられない。どの都市の駅前でも商業施設とオフィスが立ち並んで、アコムが俺を誘惑して、チンピラが俺を睨む。金太郎飴のようにどこを切り取っても同じ、と言うと極端すぎるのだけれど大阪と東京の違いは、寿司と刺身の違いと同じくらいなんじゃないかな。


それでも僕は大阪の雑多で、洗練を拒むような街の雰囲気と、浪速の人々のまるでツタが這うような連帯感を感じた時、ここには終わらない日常と愛があるんだなと思った。

妬み

この広い宇宙の中で俺様よりも輝いている存在がひとつだけあって、それは太陽である。そろそろ四月も終わる頃合いで、その太陽はまるで「春になったんだよ」と冬眠中のリスに語りかけるような光を発している。


俺は生粋のパリピだ。冬よりも春、春よりも夏に本領を発揮する。正直、夏と聞いて、あるいは海と、海に調和する黒ギャル巨乳を想像して胸が踊らない奴は心がおじさんなので、年金の支給額を計算しながらカップ酒を飲んでいればよろしい。


毎年、GWになる頃になると段々胸が騒ぎ立って、今年は何をしようかと考えてしまう。去年までの夏休みの反省とやり残した事への後悔を全力で回収した方がいい。人生が終わる前に人生をしゃぶり尽くしてしまいたいという気持ちがある。


俺は去年の夏休みに免許を取りに行った。そもそも、大学を辞めると(というか学生じゃなくなると)「夏休み」という概念を失わざるを得ないんだなと気がついた。これについてみなさんはどう思いますか。歳を取るたびに、時の流れの不可逆生を強く感じるようになって、昔はあったけど今は無いもの(例えば夏休み)への未練だけが残っている。

 


昔好きだった女の子は永遠に可愛い。

 


免許の教習所では有線でJ-POPが流れていた。ある有名な小説家が「J-POPを聞くと脳が腐るので絶対に聞かない」と言っていた。確かに最近のJ-POPは量産型というか「大量生産して、消費される音楽」と言えなくもない。それでも中には高級な楽曲もある。有線やラジオで大量に曲を聴いても何故か頭から離れないのである。それが米津玄師のアイネクライネだった。まるで森三中石原さとみが混ざっているようにアイネクライネだけが印象に残った。それが米津玄師の曲を初めて聴いた時のお話で。


米津玄師は高校生の時からボカロで名を挙げていたらしい。早熟とも言えるはずだけれど、モーツァルトとかベートーベンも10代の頃からまるで地下迷路のように綿密な曲を作っていた。だから満足に才能がある天才は若くして大成できるんだなと思った。天才はいいなぁ。才能があるというのは、スーパーカブにジェット燃料をブチ込むようなブースト作用がある。才能があるだけで人生にイージーモードでログインできる。


ただ富士山は遠くから眺めた方が綺麗だし、神話を精査すると支離滅裂で漫才かよと思ってしまうし、天才も遠くから見つめれば、羨望の対象なのだけれど、天才が故の苦しみもあるんだなと思うことがある。


例えば米津玄師が書いたブログや歌詞はどうだろう。この文章・歌詞を精製するに至るまでにどれだけの困難があったのだろうかと思った。米津玄師の歌詞には力強さとか優しさ(抽象的で精神論的な表現しかできなくてごめんね)がある。でもそういうのを手に入れる過程で米津玄師様は、辛い思いとか苦しさとか生きづらさを経験したのが透けて見えた時、僕は深い傷を負ったライオンがパッと頭に浮かんだ。